
「煙草をすわなくなって足掛け30年」になる。禁煙や絶煙などの宣言はしていないので「禁煙何年」とは言わない。そのきっかけは、休日の朝、買い置きが切れていたことだった。出かけたときに買えばいい、それが喫煙との縁切れ。だから、再び喫煙派に戻っても約束を違えたことにはならない。いま思えば大きな苦労なく禁煙の道を走ったようだ。
「一服しよういね」、仕事の切りがよくなった時のタイミングよかったリーダーのひと言を思い出す。喫煙者もそうでない人も背筋を延ばしちょっと席をはずす。しかし、効率が声高になりIT化が進むと事前の資料送付などで会議などは時間短縮となる。さらに喫煙者の減少が進み「一服」は死語と化していった。
喫煙者への社会の制裁は日を追って厳しくなっていく。各地・各所で喫煙の禁止が増え、愛煙家には気の毒な社会に変わった。喫煙すれば過料を徴収されるとこもある。かって喫煙の経験があるため、その効用を理解できるところもあるが、そうかといってこの世情、それを勧めるつもりはない。
禁煙推進の大きな理由に喫煙者はもとより、副流煙での受動喫煙による健康被害防止がある。副流煙は主流煙より癌への影響が高いという。子どものころ、煙管で「きざみ煙草」を吸う祖父のそばで、家に1台しかないラジオを聴いていた。どのくらい副流煙が蓄積したのだろうか。煙管の中のあのべとついた「やに」を思い出すとぞっとする。
市内にも幾つもの禁煙ゾーンがあり、破れば過料を科せられる。錦帯橋周辺の禁煙ゾーンではポイ捨てされたものを見かけなくなった。喫煙者のマナーがうれしい。高額煙草にして禁煙推進という提案もあったが、闇に追いやるような施策は良しとしないだろう。そんなことを公園の喫煙指定場所のベンチに腰掛け思っている。