あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー1995

2005-07-28 | ダイアリー
宮古島がTA復帰戦となるNECK林氏のために1月から早めの始動となった。
1995年は、忘れられない年である「阪神淡路大震災」「地下鉄サリン事件」
義父、叔父の死、自分自身の怪我等色々あった。

1月 K林氏のランニング強化のために50km走を企画し実行する、当時ハート・
ヴューのメンバーであった私たちは、同行者を募るも同行者は無く企画一部変更で
トライする、前日自転車で箱根湯本まで着替え等を運び、コインロッカーに預け、
翌日ランニングで湯元まで目指すという予定であった。バイクライドには何人かの
参加者があったが、翌日はK林氏と二人だけでトライする、50km走といったが
実際前日のバイクライドでの距離は56kmであった。1km6~7分のペースで
5:26かけて湯元駅到着、足腰に痛みが出る、もう二度とやるまいと思った。
館山若潮マラソン出場、前年に申し込みを忘れ、代替での出場であった。
2週間前の56kmマラソンのダメージがまだ残っていたが、記録は自己記録を
更新してしまう。

2月 びわ湖に申し込む、

3月 佐倉朝日健康マラソン出場、K林氏、H野氏同行、私とK林氏はここで
56km走のダメージが出て、25kmで始めてのリタイヤ,収容車に乗る、H野氏
いきなりサブ3で完走、現地でN津さん、T橋S一氏(初対面)と初めて話をした、
3月17日 現場作業中、足場より転落、左肩甲骨骨折、全治2ヶ月の診断、、
目の前真っ暗に。後日びわ湖の選考通知が来た、選考されていた、あと3ヶ月
弱、間に合うか?エントリー費締め切り間際まで悩むことになるが、30日義父が
亡くなる、その日のうちに辞退書を書き選考書類共々返納した。半年後の佐渡
に復帰をかける

4月 リハビリの日々、機能回復は90%は可能と医師の言葉に少し安心したが
95%回復を目指す、100%は無理とのこと、左の肩が1cmほどめり込んでいて
左腕が短くなった。23日宮古島TA、NECK林氏、I田氏完走したとの連絡あり
良かったなと思う、特にK林氏は骨折からよみがえったなと感無量、次は私だと
心に決める、I田氏はバイクで転倒するも完走したという、さすが師匠感動した。
宮古島の3日前に埼玉在住の叔父が亡くなる、まだ50代であった、、、

5月 会社復帰は連休明けに設定、連休中に練習開始、佐渡まで3ヶ月、効率よ
くと思い、この当時流行し始めた心拍トレーニングを実践するため、清水の舞台か
ら飛び降りてポラールのエッジを買う、2ヶ月の療養中、ローラー台水中ウォーク
をしていたが、ランニング復帰はきつかった。下限135拍、上限145拍の設定で
10km、64分もかかった。マフェトン博士を信じてトレーニングをする。
ランニング、バイクは回復が早かったが、スイムの練習は厳しかった、ほとんど
右手のみのストローク、左は添え物の感、1000mを越えると左肩は感覚が無く
なる、辛抱強く徐々に距離を伸ばす、タイムは二の次、同じコースを泳ぐH野氏
に500mで3回ラップされる、

6月 この頃からロングライドにH野氏も参加するようになる、ペダルがビンディグ
では無かった、T村Y規プロを意識してたのかな?でも早かった。 18日湘南ハー
フ第1戦、何とか完走、復帰できた喜びで涙が出た。24日夜K林氏とびわ湖
へ、I田氏、K松崎プロ、M脇CTSさんの応援に行く、この年はゴールが
豊公園では無く、長浜ドームであった、バイクコースは不評の工業団地周回コース
ランニングコースも94年と大幅に変更されていた。優勝候補はマーク・アレン
であった。バイクでの後姿には何かこうオーラみたいなものが出ていた。

バイクでトップに立ち、他の追従を許さないまさに帝王(神はデーブ・スコット)
湖岸道路の周回を1位のまま終えて、マーク・アレンが長浜ドームへと去っていっ
た。その後一人の女子選手が追走していくのが見えた。うそだろ~と思ったが
確かに女子選手であった。その後マーシャルの先導でその女子選手が戻ってきた
周回を間違えたようである、何年かしてその女子選手が誰であるかわかった。
JOYのアイドル?MN子女史。現、MN子、直pである。応援する方としては
周回なので、知り合いに「何度も会えて良かった、K村氏にも何度か声をかける
が誰だかわからなかった模様で、きょろきょろしていた。後日、応援有難うの手紙
を貰い義理堅い人だなと思った。I田氏には伴走して応援、K松崎プロには
「前まで何分!」と逆に声をかけられ、(前はS田T也プロ)「5分」と口から出ま
かせを言う。(だいたい当たっていた)

長浜ドームでゴールを待つ、1位、帝王マーク・アレン、2位、TS吾 3位に
T村Y則、4位、Y本M宏 5位、S田T也、ここまで8時間台、6位にK松崎
プロ、9:01分で惜しいゴール、サブ9ならず。女子優勝は、へザー・ファー
あやちゃん(この時はケンズ所属)3位、しかしながらM上J子女史以来、
二人目となる9時間台でのゴールであった。K村氏167位10:11でゴール
ゴール後声をかけるとようやく解った模様(バイク応援のこと)師匠I田氏
も305位10:49でゴールした、会いに行くとK松崎プロも出迎えに来ていて
おめでとうを言うと「5分が詰らなかったですよ」と言われ、間違って無かったんだ
とホットする。(口から出まかせなのに、、、、)しばし歓談のあと、帰路に付く
M脇さんのゴールは見られなかった。

佐渡に向けて気合いが入ったびわ湖観戦であった。

7月 佐渡に向けて本格的に練習に取り組む、後半よせばいいのにまたまた、
230kmのシュミレーション、今回はK林氏のお付き合いであったが、氏はバイク
パートでつぶれ、私だけ全コースクリア、手抜きではあったが何とかやれた。

8月 フロントフォークをラティードのカーボン・フォークにチェンジ、QRのフル
スーツ
も新調、活動資金に底が見え始める、(翌年より極貧生活)そこまでしても完走が
欲しいと思う。次に繋げるためにも、何が何でも完走を手に入れたいと思った。
三浦遠泳大会出場、新調したフルスーツを試すためと骨折後初の4000mオープ
ンウオータスイムであった、1:23で無事完泳するが2000m位から左肩が痛く
なる
右手一本で泳ぐ感じ、左は添え物に、、、佐渡のスイムに不安感を抱くが、あと2週
間である、じたばたしても始まらないと開き直る。

9月 佐渡出場、ハート・ヴューより私、K林氏、K松夫妻、の4名、H野氏同行
いせや旅館に宿泊、レース前日、M脇CTSさんH野氏の応援に合流する、
JOYからは増Gとひとみ社長とA羽さんが出場、このとき皆さんとは初対面、
荒天のためスイムが中止になり、せっかくウエットを新調したのに残念という気持
とスイムが無くてよかった、という気持ちが半々であった。ラン+バイク+ランという
形式になり、第1ラン9kmバイク180,2km第2ラン42km合計232.2
kmの
世界最長ディアスロンを経験、K松婦人は前回のディアスロンも経験、(Aタイプ)
今回はBタイプと両方を体験する貴重な経験者となった。

Bタイプに出場していたH野氏が8位でゴールするとき、私の第2ランがスタート
歩かないと決めて、走ったがペースが上がらず、歩きこそしなかったが、走れては
いなかった。何とかゴールしてK林氏、K松氏を待つ、K林氏先にゴール、ガッツ
ポーズがりりしかった、この年のハート・ヴューの機関紙ハート・ヴュープレスの
表紙になる。続いてK松氏、先にBタイプゴールの婦人と手を繋いでゴールテープ
を切る、私も涙がこぼれた、自分のゴールは安堵のゴールであったが、知人のゴール
にはいつも感動をもらう、有難う。
翌々週、湘南ハーフ第4戦出場、佐渡のダメージが無かったのか優勝してしまう

10月湘南ハーフ最終戦 H野氏がぶっちぎりで優勝、一人置いて私は3位
このときの出場者には、横浜鉄人クラブのE藤S氏(プール仲間)T野S一氏
重ちゃん、S津男お兄さん、S瓶T氏、M脇CTSさん、そしてちんねんE藤
さんの名前を見つけた。(出てたとは聞いていたけど、一緒のレースだったの
ですね)ん~世の中は狭いものだ!!
 H野氏の仲介で初めてK村氏、T橋氏とロングライドに行くT橋氏の
アウターをみて仰天!!(1994のエピソードはこれです)後ろについて走ると
ゴリゴリと音がしてるようなペダリングで又仰天!!(トップギヤにかかりぱなし)
4人で長沢のJOYへ、I奈さんとY子さんが出迎えてくれて「貴方がアルミさんでし
たか」と言われてびっくり、一昨年のフェリーでの事を覚えていてくれて、「F本さ

から紹介された人ですよね」とも言われる。「ぜひJOYの仲間になってください」
と言われ「ハート・ヴューに入ってるんですけど」と言うと「かまわないですよ」と
の事
このときから私もJOYのメンバーの端に加わった。翌週袋井エンデューロ、選手
では無く、炊事班でサポート、(ハート・ヴュー)JOYからも何チームか出場して

て「けんちんうどん」を出前して喜ばれる、T橋氏とT中K氏は覚えているが
後は誰でしたか?月末、JOYメンバーとしてはじめてのイベント「JOY・ノーラ

100kmマラソン」で移動エードをやる、100kmもよく走るな~と言うのが実

長沢公園のゴールは手作り大会とはいえ感動的であった。

11月 NECK林氏に代走であるが横浜マラソンに誘われて出場、初めて
10kmで40分を切る、自己記録は代走ばかり、、、、

12月 クリスマスプレゼントが宮古島より、出場許通知が届いた。嬉しかった。
グローバルの年間ランキングも4位で、びわ湖もOKだと実感する、来年こそ
飛躍の年にしたいと思う。

1月   館山若潮マラソン(代走) 3:09:32完走 自己記録
2月   佐倉朝日健康マラソン 25kmリタイヤ
6月   湘南ハーフ第1戦 5:13:18 4位完走
8月   三浦遠泳4000m 1:23:58  完泳
9月   佐渡国際Aタイプ(ディアスロン) 10:39:43  116位完走
9月   湘南ハーフ第4戦 4:56:37  1位完走
10月  湘南ハーフ最終戦  4:51:50 3位完走
11月  横浜マラソン 10kmの部(代走) 39:25 完走 自己記録


 1995年 練習合計
  
スイム     225775m
バイク     5053km
ランニング  2072km 

色々な意味で試練の年であったが、諦めないということの大切さと
引き際の大切さの両方を身をもって体験した年である。

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