TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

「旅と野宿は男の至福」 

2014年09月20日 | 山にまつわる話
「旅と野宿は男の至福」

なんと素敵なフレーズでしょうか。これは、「風まかせ」というバイクの雑誌の表紙に書かれていたキャッチコピーです。これを目にしたときにはシビれました。




「野宿」という言葉だけで、眠っている男の冒険心がくすぐられます。
いくつになっても野宿は男のロマンであり至福の時です。
「男の」と断ったのは、どうもこの良さが女にはなかなか分かってもらえないからです、わが家だけのことでしょうか…
家族で旅行に行く場合、私は行き当たりばったりの旅が好きなのですが、女房子どもはツアーを好みます。コースも、寝るところも、食べるものも保証されたツアーは、確かに安心・安全・便利ではありますが、私はあまり好きになれません。そのツアーで北海道とか、黒部立山アルペンルートに行きましたが、その度に私はいつも満たされない何かを感じていました。漠然と「何かが違う…」と。その違和感は、ワンゲル時代のテント泊中心の旅スタイルとの違いからくるものでしょう。

野宿は、現地で泊まる場所を探すところから始まりますが、知らない土地への不安や心細さと同時にワクワク感もあります。そのワクワク感はワイルドな冒険心を満たしてくれますが、それこそが旅の醍醐味です。そして、そのスタイルがすっかりからだに染みこんでいるものですから、五十を過ぎた今でも野宿に憧れます。


【野宿風景~社会人編】
平成21年9月20日(ちょうど5年前!)祖母山の登山基地尾平鉱山「ほしこがINN」に泊まったときのようすです。久しぶりのテント泊で、装備はあり合わせのもので間に合わせました。食事もお総菜で済ませましたが、野宿スタイルで昔の山仲間と食べると、とてもおいしく感じられお酒もすすみました。


宿泊棟である「ほしこがINN」の玄関すぐ横にテントを張りました。棟に宿泊のみなさんが、私たちをうらやましそうに見ながら通っていったのを覚えています。






私たちの他にもう一組野宿をしている人たちがいました。それぞれにソロのテントを準備してあり、その装備からも結構野宿の旅に慣れているという感じがしました。


(補足)「ほしこがINN」にはまた行こうと思っていたのですが、現在は営業をしていません。残念です。


【アトレー君での車中泊】
一人で泊をともなう山行のときに便利なのが愛車アトレー君です。テントではなく車中泊ですが、男の冒険心を満たしてくれます。このワクワク感はホテルや民宿では味わうことはできません。









アトレー君の紹介 → 「究極の軽キャンピング
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ある風景

2014年08月02日 | 山にまつわる話
以前、山の行き帰りに目にした風景です。








山を削って、太陽光発電の施設に変える建設現場です。

エネルギー問題に言及するつもりはありません。
それぞれの考え方があり、それぞれの生活がかかっているからです。
それまで山だったところの木が伐採され、切り拓かれているのを見て、
「酋長シアトルからのメッセージ」という絵本のある場面を思い出しました。

白人に土地を追われたインディアン達が、白人が切り拓いた禿げ山を見て呆然と立ち尽くしている場面です。

この本は、19世紀アメリカの西部開拓時代の話で、インディアンの酋長シアトルが、自分たちが住んでいた土地を白人に渡さなければならなくなったときに訴えた、「どうかあなた達もこの土地を愛してください」というメッセージを元につくられた絵本です。

酋長シアトルのメッセージの一文を紹介します。


   「われらは、知っている 
     大地はわれらのものでなく
       われらが大地のものであることを」


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夏山計画が… 残念!

2014年07月23日 | 山にまつわる話


計画なら、今は博多に向かう「かもめ8号」の中。その後新幹線で名古屋、そこから「ワイドビューしなの15号」で松本に向かう予定でしたが、今は自宅でパソコンに向かっています。

昨日の「関東甲信越地方は本日梅雨明けしました」という報道には胸が躍りました。
そして、すべての準備を整えて、JRのみどりの窓口に切符を買いに行きました。

「この通りに切符をください」と、NAVITIMEで作成した乗り継ぎ計画書を示しました。
「はい、かしこまりました」
「往復割引でね」
などと余裕で窓口のお兄さんと話をしていたのですが、途中からお兄さんが不思議そうにパソコンにつぶやいたのです。
「おかしいな、切符が出ない」と。

いろいろと調べて、原因が分かりました。
先の台風8号の後の大雨で、南木曽あたりの架橋が流され現在不通になっているとのことです。
「えっ、行けないんですか?」
私のさっきまでの余裕がいっぺんで吹き飛びました。

お兄さんも気の毒そうに、東京まで行って松本に向かうなどいろいろと調べてくれましたが、到着が遅すぎです。
「出直してきます」と、みどりの窓口を後にしました。

そうだ、名古屋から高速バスで松本に向かおうと自宅のパソコンでバスを予約しようとしたのですが…。

あまりにも無警戒でした。
この北アルプス行きを計画したのは6月22日のことでした。
リフレッシュ休暇をとる関係で、1か月前には職場にも休暇願を出し了承をいただいていました。当然、山の前後に泊まるホテルや旅館も予約していました。
JRの切符は、平日の出発なので前日でよかろうと高をくくっていました。

甘かった!
北アルプスの天気は毎日チェックするなど情報収集には努めていたつもりでしたが…。
社会情勢、世の中の出来事に…。
そういえば、前代未聞の猛烈な台風とまで言われた8号、こちら長崎は厳戒態勢で臨み肩すかしを食わされた形でホッとしていましたが、あの後、本州で大雨の被害があったことをテレビで報じていたことを思い出しました。民家が流され、中学生が亡くなったことも…。

結局、高速バスもすでに満席で今回は残念することにしました。
自分が行きたかったのもありますが、北アルプスの感動の山々を家内に見せたかったというのが一番の思いでした。残念です。
SUWVの同期のみなさんや職場の方々に、「気をつけて行ってくださいね」と温かい言葉を掛けていただいていたのですが…。

元気であれば、また行く機会もあるだろうと気を取り直して、ぽっかりと空いた1週間を別のことで充実させたいと思っています。

以下は、出発前の準備風景です。


リストを元に装備品の最終確認をしました


ザックに防水スプレーをかけて干しているところです。




ズボン、靴にも防水スプレーをかけ万全を期しました。



猪木先生の名言をもじって自分にエールを…
「元気でいれば、チャンスはある!」


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夏山の計画を立てる

2014年06月22日 | 山にまつわる話
前回の続きで、リフレッシュ休暇を使っての夏山計画です。
図書館に行って、山の資料を借りてきました。



右下の「上高地・槍・穂高…」は、私が学生時代持っていた、山渓のアルパインガイドです。
あれこれ迷いましたが、北アルプスに決めました。中房温泉から入って、燕岳・常念岳・蝶ヶ岳を経て上高地へ下りるコースです。
北アルプスの代表的なコースですが、私にとっては初めてのコースです。
学生時代はサイクリング合宿が多くて、あまり山に登っていませんでしたので…

昔のガイドブックでは2泊3日の行程ですが、今はゆっくりと3泊4日で行くのが主流のようです。
私も無理をせず、最も無理しようと思ってもできませんが、後者の方で計画を立てました。

そういえば、前回のブログで紹介した、SUWV南アルプスパートの山中19泊などは、キスリングの重量はいくらだったのでしょうか。予備日も入れれば20日を越える食料、加えて、今のように軽量化されていない当時の山の装備ですから。(ちなみに、当時使っていたホエブス625は名器でしたが、その重量は1460g。現在のガスバーナーは100g前後です。テント然り、シュラフ然りです。)

夏山シーズンの山小屋の混雑ぶりは富士山で経験しているので、できればテント泊の方が、夜は気兼ねなくぐっすり寝れそうな気がするのですが…、結局、山小屋を利用することにしました。
(燕山荘には個室もありますが、予約でシーズン中すべて埋まっていました。)

計画が立ったので、トレーニングも少しずつ負荷を上げていこうと思っています。



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夏山計画に思う

2014年06月21日 | 山にまつわる話
この夏、少しまとまった休みが取れます。リフレッシュ休暇です。
ふだん行けない遠くの山に登ろうと思って計画を立てています。
登りたいと憧れている山はいくつかあります。羅臼岳、北岳、剣岳、北アルプスなどです。
そこで、昔の資料を取り出してみました。
ワンゲル時代のものですが…、これを見て、現役の学生の登山計画って「すごいな」とあらためて感心させられました。かっての自分たちがそうだったのですが…。
同期のKから、「よく昔のものをとっているね」と言われますが、そんな中でも次の資料は自分でも感心するシロモノです。



社会人1年目の夏に、後輩が送ってくれた夏合宿の計画書です。(懐かしい青焼きが時代を感じさせます)
後輩と言うのは私たちが3年生の時の1年生ですが、これに目を通した当時、頑張っている後輩達の姿が目に浮かんだものでした。
また、おもしろいのは原点回帰とでも言うのでしょうか、南アルプスに行った1年は、今度は自分がPLとして、2年後再び(失礼、Dの場合は三度め)南に挑んでいることです。北海道、中部山岳地帯のサイクも同じです。
ただ、どれもが拡大再生産されており、自分たちを越えたなとも思える遠大な計画でした。
そんな計画書だったから、捨てずに取っておいたのでしょう。残念なことに、「フォッサマグナパート」の計画書だけは現在行方不明です。糸魚川から自転車で出発して、北アルプス、八が岳、南アルプスと山をいくつか登り、最後は富士山を目指すというものだったと思います。

他のパートも負けてはいません。南アルプスパートは、夜叉神峠から始まり聖岳までの山中19日、北海道パートも十勝・大雪の大縦走に加え層雲峡から上富良野までの5日間のロードも加えるとこれも18日にも及ぶ長期合宿で、学生時代ってすごいことをやっていたんだなとしみじみ思いました。

【D助の南アルプスパート】


【ENYAの北海道パート】


さて、今年の夏山登山ですが、学生のようなパワーと時間はありません。
2泊3日の北アルプスを考えているところです。
ただ、いやしくも元ワンゲル、トレーニングを積んで事故にだけは遭わないようにと思っています。
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國次太郎先生と坊ヶツル讃歌

2013年06月10日 | 山にまつわる話

(1980年秋 当時撮った久住の写真です。スキャナで読み込みました)

SUWV在籍中、三人の顧問の先生にお世話になった。1年の時は、ドイツ語の先生で…(申し訳ないが名前が思い出せない)。次に丹野先生。丹野先生が他の大学に移られ、その後顧問になってくださったのが國次太郎先生だった。

在学中、國次先生と一緒に山に登る機会が二度あった。
1回目は、大学3年秋の九重研修での久住登山だった。。
年季の入った登山靴とチロリアンハット姿は、先生自身が山好きであることを物語っていた。研修を無事終え帰りのバスの中で、先生は「坊ヶツル讃歌」を実に楽しそうに豊かな声量で歌ってくださったのを覚えている。

2回目は、九重研修の数ヶ月後に雲仙普賢岳にご一緒させていただいた。
このときは、福岡教育大(先生は福教大の方でも講義をされていた)のゼミの生徒を普賢登山に連れて行きたいということで、島原出身の私にガイド役として声がかかったのだった。
コースは、島原の焼山から鳩穴を経由して普賢岳であったが(このコースは平成3年の大火砕流で消滅し現在は存在しない)登りはじめてすぐに、「えっ!」と思う出来事があった。
それは、登山道の目印として木に巻いてあるテープを見るや、はさみを取り出し,いきなり切り取られたのだ。何をされるのだろうと見ていると、外したテープを別の枝に巻き直されたのだった。理由は、幹に巻いてあると木が生長するにつれ、テープが食い込み、木を傷めるからとのことだった。何という優しさだろうか、先生への敬愛の念がさらに深まった。

そんな先生が、年に1回発行する部誌「木霊」に寄稿してくださったのが、「坊ヶツル讃歌」の元歌になる「山男の歌」だった。


   「山男の歌」

  人みな花に 酔うときも
  残雪恋ひて(超えて)
  山に入り 涙を流す山男
  雪解の水に 春を知る
  
  - 以下省略 -

この元歌についてはネット上で多数紹介してあるが、「残雪恋ひて」を「超えて」と掛けて表記している歌詞はまだ見たことがない。
以前のブログにも書いたが、國次先生が紹介してくださった歌詞は実に深いと思う。

PS 「ミヤマキリシマ…」のくだりは、当然「ピンク」!  → 「ミヤマキリシマ咲き誇り…」
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続「坊ヶツル讃歌」 ピンクがいい…

2013年06月09日 | 山にまつわる話
以前のブログで、ミヤマキリシマ咲き誇る大船は「ピンク」か「くれない」かと、
坊ヶツル讃歌の歌詞について書いた。

・「ミヤマキリシマ咲き誇り 山はピンクに…」2013年05月25日
・「やっぱりピンク!」2013年05月25日

九重のガイドブックを見ていたら、私が抱いたのと同じ疑問に
坊ヶツル讃歌の作詞者の一人、松本徰夫氏が次のように答えられたと記してある。

  「『山はピンクに』がもと歌です。花の色はくれないではなくピンクに間違いないが、
   当時は『ピンクムードショー』などという芳しくない題名の番組があり、
   NHKの提案によって『くれない』に変更した。
   しかし、今でもピンクの方が優れていると思っている。」

  以上「九重・祖母・大崩を歩く」(山と渓谷社)
         P49「山の歌『坊ガツル讃歌』はこうしてつくられた」より引用

確かに坊ヶツル讃歌は、「NHKみんなの歌」の芹洋子さんの歌で一気に全国に広まったが、作詞者の意に反し、「紅」と本来の花の色まで変えてしまうのは「ピンク」に対する偏見ではないだろうか。
作詞者の一人である松本氏が「今でもピンクの方が優れている」という思いであられるなら、今からでも元に戻してはどうだろうか。


(写真は雲仙の国見岳のミヤマキリシマ)
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PM2.5?

2013年05月26日 | 山にまつわる話
先週は月曜日からずっと晴れが続いた。
ところがだ、連日モヤがかかったようで遠くの山(多良岳や雲仙)がハッキリ見えない。
以前、北京市内の光化学スモッグでモヤのかかった映像をTVニュースで見たとき、
「ひどいな」と思っていたが、ここ数日の長崎はその状況になってはいないか。
次の写真を見てほしい。


これは昨日(5/25)、雲仙に向かう途中、愛野まちで写したものだ。
愛野は島原半島の入り口で、この後方には雲仙の山々が見えなければいけないのだが、
ご覧のように真っ白で何も見えない。天気は晴れで太陽は出ているというのに。

次は、妙見岳に登る途中に雲仙の温泉街を写したものである。
今年の冬に写したものと比べると瞭然としている。


温度や湿度等の違いがあるので単純に比較はできないにしてもひどいものである。
しかし、ニュース等ではあまり話題にされていないような気がする。
アベノミクスや橋下氏の暴言やらが連日取りだたされ、環境問題がおろそかにされている気がしてならない。
そういえば、壮行会の時だったかな、同期のSが次のようなことを言っていた。
「北京オリンピックの開催中は、(佐賀?福岡?)の空がきれいだった」
どうしてと聞いたら、
「オリンピックの開催中は工場の排煙など出さないように規制されていたから」と言うことだった。
難しい問題である。他国の経済成長に関わる問題だから。
過去の経済成長期の日本もそうであったし、近いところでは、天災や事故とはいえ、
放射能で汚染された物質を流出させ、世界の海や空気を汚してしまった。

さて、雲仙の山々は、季節が来ればけなげにも美しい花を咲かせていた。






最後に、昨年秋に多良山系から写した雲仙の写真を1枚。

(海の中に見える1本の道は「堤防道路」)

世界の空気がきれいになりますように。
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やっぱりピンク!

2013年05月25日 | 山にまつわる話
前回のブログで、「断じてピンクである」と言い切ったものの、
ちょっぴり不安になって昔のアルバムを探してみた。
あった!
ミヤマキリシマの時季に九重に行ったのは、30数年前、社会人2年目の5月1回きりである。

【 昔の九重登山の写真3点 (ニッカズボンが懐かしいね)】






写真のピンクに染まっている山は平治岳だったかな…、30数年前なので自信がない。
テントを張っているのは勿論、坊ヶツル。
3枚目の写真、間違って前回のブログの国見岳を貼っていたので今日(5/26)貼り替えました。
これこそ「段原彷徨う山男 花の情けも知るものぞ」

坊ヶツル讃歌といえば、私をワンゲルの道に勧誘してくださったS先輩の部屋には、坊ヶツル讃歌が四番まで書かれた日本手ぬぐいが飾ってあった。S先輩だけではない、当時のワンゲルの先輩の部屋には例外なく、坊ヶツル讃歌の手ぬぐいと西九州合ワンの記念手ぬぐいが飾ってあった。今、あの坊ヶツル讃歌の手ぬぐいが欲しいと思うのだが,今も売ってあるのだろうか。そういえば久しく九重に行ってないな…
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「ミヤマキリシマ咲き誇り 山はピンクに…」

2013年05月25日 | 山にまつわる話


(ミヤマキリシマ咲き誇る 山はピンクに国見岳)


ミヤマキリシマと言えば
三十数年前、私たちの「坊ヶツル讃歌」は、次のように歌っていた。

  「ミヤマキリシマ咲き誇り 山はピンクに大船の
   段原彷徨う山男 花の情けも知るものぞ」

今日、雲仙の山に登ってきたが、ミヤマキリシマはやっぱりピンクだった。
「坊ヶツル讃歌」に歌われている九重のミヤマキリシマもピンクのはずだが、
芹洋子さんが歌う「坊がつる讃歌」は、

  「ミヤマキリシマ咲き誇り 山紅に大船の
   峰を仰ぎて山男 花の情けを知るものぞ」

似ているけれども違う。

ミヤマキリシマは断じてピンクである。(紅色のミヤマキリシマもあるのかも知れないが…)
当時、埋もれていた名曲を世に出すにあたって
「ピンク」よりも「紅」の方が詩としては格調高いのかわからないが…
私が大学1年の時(昭和53年)、芹洋子さんが歌う「坊がつる讃歌」はレコード大賞にノミネートされ、大賞は取らなかったが何某かの賞を受賞した。

もう一つこだわるなら、「花の情けも」の「も」である。
たかが助詞の一つだが「も」と「を」では大きな違いに思える。

 「花の情けを知るものぞ」と「花の情けも知るものぞ」

五感研ぎ澄まされた感性豊かな「山男」としては、やはり「花の情けも」であって欲しい。

今回のブログは雲仙のミヤマキリシマ鑑賞登山を紹介する予定であったが、「坊ヶツル讃歌」に変更してもう少だけ。

さらに言うならば、一番の歌詞である。

  「人皆花に酔うときも 残雪恋し」

私たちもそう歌っていたのだから異存はないのだが、わがSUWVの部誌「木霊」の第8号(昭和55年度版)には、当時の顧問であった國次太郎先生が「坊ヶツル讃歌」の元歌である広島高師の「山男の歌」を投稿してくださっていた。 → 「國次太郎先生と坊ヶツル讃歌

  「人皆花に酔うときも 残雪恋ひて(超えて)」

ネットに、元歌である広島高師の「山男の歌」の紹介は多数あるが、このように表現してある歌詞は、私が調べた範囲ではこれだけである。

「恋ひて」を「超えて」と掛けているところは深いなと感じ入る。
同じように「花の情けも」の方が深い。
深い浅いは別にしても、ミヤマキリシマはどう見ても「ピンク」であろうと思うのだが。


大賑わいだった、ピンクのミヤマキリシマに囲まれた普賢岳山頂
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