昨年OB会があった伊王島を訪ねました。
香焼と伊王島を結ぶ大橋
手前の香焼も、海岸沿いの道が整備され、あっという間に伊王島大橋に着くことができました。
橋を渡ってすぐの馬込浜からの景色
なんとも懐かしさがこみ上げてくる光景です。
実は34年前、香焼の栗ノ浦から漁船で伊王島に渡り、島を訪れたことがありました。
昨年11月のOB会は所用で宴会だけのとんぼ返りでしたので、もう一度ゆっくりと伊王島を訪ねたいと思っていたのですが、やっと実現しました。3度目の伊王島です。
静かな入り江
汀に立つ鳥居と恵比寿様
少しだけアップ
トンネル
井戸
その井戸の側に咲いていた花
ここからはメジャーな観光コース
まずは馬込教会 教会の白さが海の青に映えていました
正面からは気づきませんが、かわらぶきの屋根に日本らしさを感じました。
次に、訪ねたのが島の最先端にある伊王島灯台へ この光景は…
健さん主演の「あなたへ」のロケ地だそうです。(今日知りました)
「燈臺」
私が中学校の頃に「燈」という漢字が「灯」と書いてもいいようになったような記憶があります。「臺」が「台」になったのはいつ頃でしょうか?単独でこの字がでたら読めません…
初代灯台の基礎 灯台の建て替えに「原爆」が影響していたとは…
そして、灯台記念館へ
グラーバー邸を彷彿とさせる洋式の建物でした。
当時(明治)の職員の休息所跡で貴重な遺構だそうです
中の様子
床の板は明治時代のまま
別棟 当時のお風呂や便所の棟
昔懐かしの五右衛門風呂
案内の説明板によると、明治10年完成の洋風建物で、瓦葺きの平屋。壁は日本最古の無筋コンクリートだそうです。
台風の被害を避けるように灯台下の斜面にひっそりと建っていました。そのことが幸いして原爆の爆風を避けることができたのでしょうね。
断崖に建つ展望台からの眺め
赤いクレーンは香焼にある三菱の100万トンドック
遠くの島々(池島 ここもかって炭鉱で栄えました)
さらに西方には五島列島もうっすらと見えていました。
次に向かったのは海水浴場
この海水浴場はスペイン語で「太陽の海岸」というの意味の「コスタ・デル・ソル」というそうです。
今は誰もいませんでしたが、夏には賑わうでしょうね
OB会があった「やすらぎ伊王島」へ
売店
本日の昼食 山では味わえないシーフード
レストランの裏手にはオリーブ畑が広がっていました。
昼食後は俊寬僧都の墓碑やその隣にある北原白秋の歌碑などを見学し伊王島を後にしました。
北原白秋の歌(俊寬僧都の遺跡を訪ねて詠んだ歌)
「いにしえの流され人もかくありてすえいきどおり海をにらみき」
帰路の伊王島大橋から見た高島
ここもかっては炭鉱の島として栄えていました
PS 34年前の伊王島の写真です
これは写真右上の”FujicolorHR83”が示すとおり34年前の伊王島の写真です。
アパートがどこだったかは覚えていませんが、ベランダに干してある洗濯物から当時の賑わいを思い知ることができます。
香焼と伊王島を結ぶ大橋
手前の香焼も、海岸沿いの道が整備され、あっという間に伊王島大橋に着くことができました。
橋を渡ってすぐの馬込浜からの景色
なんとも懐かしさがこみ上げてくる光景です。
実は34年前、香焼の栗ノ浦から漁船で伊王島に渡り、島を訪れたことがありました。
昨年11月のOB会は所用で宴会だけのとんぼ返りでしたので、もう一度ゆっくりと伊王島を訪ねたいと思っていたのですが、やっと実現しました。3度目の伊王島です。
静かな入り江
汀に立つ鳥居と恵比寿様
少しだけアップ
トンネル
井戸
その井戸の側に咲いていた花
ここからはメジャーな観光コース
まずは馬込教会 教会の白さが海の青に映えていました
正面からは気づきませんが、かわらぶきの屋根に日本らしさを感じました。
次に、訪ねたのが島の最先端にある伊王島灯台へ この光景は…
健さん主演の「あなたへ」のロケ地だそうです。(今日知りました)
「燈臺」
私が中学校の頃に「燈」という漢字が「灯」と書いてもいいようになったような記憶があります。「臺」が「台」になったのはいつ頃でしょうか?単独でこの字がでたら読めません…
初代灯台の基礎 灯台の建て替えに「原爆」が影響していたとは…
そして、灯台記念館へ
グラーバー邸を彷彿とさせる洋式の建物でした。
当時(明治)の職員の休息所跡で貴重な遺構だそうです
中の様子
床の板は明治時代のまま
別棟 当時のお風呂や便所の棟
昔懐かしの五右衛門風呂
案内の説明板によると、明治10年完成の洋風建物で、瓦葺きの平屋。壁は日本最古の無筋コンクリートだそうです。
台風の被害を避けるように灯台下の斜面にひっそりと建っていました。そのことが幸いして原爆の爆風を避けることができたのでしょうね。
断崖に建つ展望台からの眺め
赤いクレーンは香焼にある三菱の100万トンドック
遠くの島々(池島 ここもかって炭鉱で栄えました)
さらに西方には五島列島もうっすらと見えていました。
次に向かったのは海水浴場
この海水浴場はスペイン語で「太陽の海岸」というの意味の「コスタ・デル・ソル」というそうです。
今は誰もいませんでしたが、夏には賑わうでしょうね
OB会があった「やすらぎ伊王島」へ
売店
本日の昼食 山では味わえないシーフード
レストランの裏手にはオリーブ畑が広がっていました。
昼食後は俊寬僧都の墓碑やその隣にある北原白秋の歌碑などを見学し伊王島を後にしました。
北原白秋の歌(俊寬僧都の遺跡を訪ねて詠んだ歌)
「いにしえの流され人もかくありてすえいきどおり海をにらみき」
帰路の伊王島大橋から見た高島
ここもかっては炭鉱の島として栄えていました
PS 34年前の伊王島の写真です
これは写真右上の”FujicolorHR83”が示すとおり34年前の伊王島の写真です。
アパートがどこだったかは覚えていませんが、ベランダに干してある洗濯物から当時の賑わいを思い知ることができます。
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