TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

「青春時代の真ん中は…」

2015年11月30日 | SUWV
森田公一とトップギャランが歌った「青春時代」の歌詞の一節です。

  青春時代が夢なんて 後からほのぼの想うもの
  青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり


本ブログでも、今でこそ懐かしくワンゲル時代を振り返っていますが、あの頃は「青春時代」の歌詞さながら、けっこう道に迷い、みんな悩んでいました。そんな心の内面を同期の一人が「木霊」に綴っていました。


「大崩へ行ったころ」 「木霊 第8号(1980年度版)」 

  いつのことだったろうか。私が大崩へ行ったのは。もう何年も過ぎたように思う。今思うと、机の中からふいに出てきた色あせた記念写真の思い出のように思える。
  当時、私は20才だった。最も血気盛んなころであったように思う。と言っても、クラブの方針とか、パートのことなどがあり、そんなに地道に走ることもなかたようだが、ともかく何も分からず、よくも考えず、ただ前に行くのみ、そう、いのししの様な時代であったように思う。
 「視野を拡大しよう。」「領域を拡大しよう。」こんな旗印のもとに、執行部を作った私達は、何かをせねばならなかった。ともかく何かを、ただ目の前にせまった行事としての合宿をこなすということではいけないのだ。往々にして私達は、安易さを求めるが故に、前者の通った道を歩もうとすることがよくある。そのときは、「前にもやったことですが…。」とか、「…がちがうのだ。」と思う。しかし実際は人のやった安全な道に、何かをつけ加えたことにすぎない場合が多い。なんとかして、そうなることをさけたかったのだ。そんなことを思い、何かをせねば、何かをせねばと、いつも心を急にしていたように思う。
  しかし、だからと言って、私の合宿―冬、春、夏―を通して考えてみて、方針に合っているものがあったか、ということがわからない。ああ、お釈迦様の掌。
  この時期は、私の人生を変えるようなことがいくつか起こった。他人から見ればささいな事に思えるだろうが、私にとっては、特に大きく心を占めているのである。多感であったと言ってしまえば何でもないが、色々と感じ、思い、考え、悩んでいた。当時私には、女がいなかった。女がいたらまた別であったかもしれない。しかし、私はこの時期を過ぎたとき、急に疲れを感じた。齢をいくつかまとめて取ったような気がする。しかし、もしこのような時期がなかったとしたら、私は、いつまでも青いままでいることができたかもしれない。「ブリキの太鼓」という映画があった。成長の止まった少年が、時代を見てゆくのだ。そして、その少年のブリキの太鼓に合わせて、ヒトラーや、兵隊や、時代がおどるのだ。もし私がブリキの太鼓を持っていたなら、ブリキの太鼓をたたくならば、ああ涙。
  私は、この時代に感謝しようと思う。




青春時代をともに過ごした同期の仲間達 (ガスの久住山頂にて)



コメント    この記事についてブログを書く
« 山の愛蔵本 | トップ | 月明かりを頼りに… »

コメントを投稿

SUWV」カテゴリの最新記事