発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

「木鶏」に関するエトセトラ

2015年03月24日 | 日記
 致知出版は、昔は竹井出版といった。「ち」のつくビルディングでおなじみ(濁点がつくとヒサヤ大黒堂になる)「地産」の創業者、故・竹井博友氏の会社だったのである。竹井氏に関しては検索されたし。
 竹井出版、今では致知出版から「致知」という雑誌が出ている。その「致知」には、各地に「木鶏クラブ」と呼ばれる読者クラブができている。
 会社勤めをしていたときに、家と会社を往復する以外は引きこもりに近い私の生活を見兼ねた同僚に誘われて、その地区の木鶏クラブの会合に行き、すぐにその同僚が転勤したので、かわりに会員となって、福岡にくる前の2年あまり末席に参加させていただいていた。月に1回、会場のビジネスホテル会議室で、招聘した講師のお話を聞き、軽めの夕食をいただきながら歓談するという集まりで、会費もフツーのOLの負担にならない程度だったと思う。
 木鶏は聞き慣れないことばだ。「もっけい」と入力しても木鶏と変換されにくい。

「木鶏(もっけい)とは、荘子(達生篇)に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす」「木鶏という言葉はスポーツ選手に使用されることが多く、特に日本の格闘技(相撲・剣道・柔道)選手が好んで使用する。横綱の双葉山は、連勝が69で止まった時、「未だ木鶏たりえず」と安岡正篤に打電したという故事がある。横綱白鵬は、これを踏まえて連勝が63でとまった時に支度部屋で、「いまだ木鶏たりえず、だな」と語った」(ウィキペディアより)

 このお話を読むと、木鶏は、高村光雲あたりの手による迫力ある木彫を想像する。鶏口牛後ということばもあるから、インディペンデントな語感も持つ。カッコいい。だけど、木鶏たることはなかなかに困難、ということなのである。
 木鶏たらんとする人々の集まりなのであろうが、まあ私が参加しても良かったわけだし、自分となると、木鶏どころか、折り紙の鶏にも及ばない。
 国会木鶏クラブというのがあるのだそうだが、木鶏を目指そうとするのなら、品のない野次を飛ばしてしまったことをもう少し羞じないといけないような気がする。いまだ木鶏たりえず、などとカッコつけてる場面だろうかそこは? 全国の木鶏クラブの皆様に伺ってみたいとちょっと思う。
 でもま、品格の点でいろいろ議論のある現横綱が使ってるわけだから、使ってみてもかまわないだろうと思った、というのなら納得する、かな。

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