日本全体で、病気で亡くなった人は減っているのに、しかも自死が増えているというのに、いつまで若い人や子どもたちの「めいっぱい生きてる感」を「不要不急」を合言葉にして奪い続けるのだろうか。
今の言葉でいうリア充からは程遠い陰キャ喪女的な地味青春を送った私でさえ私なりの、今思い出せば、きらきらした記憶となる出会いがいくらかあった。地味なりに、毎年違う夏がきていた。
「めいっぱい生きてる感」は若者の権利であり義務でもある。その後の人生を生きる糧となる。断じて不要不急ではない。それが奪われている。
で、またまた茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」のかえうた。
わたしが一番きれいだったとき
新型コロナが流行した
新型コロナが流行した
マスクをしていないと
見ず知らずの人から怒られたりした
わたしが一番きれいだったとき
学校(職場)が長い休みになった
進学(就職)したら何しようと思ってたのに
自宅で浪人してるような生活が始まった
見ず知らずの人から怒られたりした
わたしが一番きれいだったとき
学校(職場)が長い休みになった
進学(就職)したら何しようと思ってたのに
自宅で浪人してるような生活が始まった
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達はそれほど死ななかった
マスクで顔が隠れたので
わたしは化粧のきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
体重ばかりが増えていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしは出会いを奪われた
女子会のガールズトークも
まわりの人達はそれほど死ななかった
マスクで顔が隠れたので
わたしは化粧のきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
体重ばかりが増えていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしは出会いを奪われた
女子会のガールズトークも
合コンもなく部活もなく
自粛の町をのし歩いた
「わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった」
自粛の町をのし歩いた
「わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった」
の節は、「わたしが一番きれいだったとき」そのまんまではないのか。
戦闘と爆撃と物資不足がなく、お腹が空かないだけで(いや、生活不安に陥っている人たちは空腹になっている)、戦中戦後のような青春を若者に強いている。
後日、検証されて「あれはそれほど締め付ける問題ではなかった」という意見が大勢となったとき、後日「あれは無謀だった」という意見が大勢となった戦争が終わったあとのような、焼け跡のような荒廃に人々が見舞われていないことを願う。
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