父は私の生まれる前、『文藝時代』 という雑誌の編集をしていました。
引越しで、この雑誌の昭和23年3月号~昭和24年の7月号までのうちの10冊が出てきました。
トップ画像は昭和23年3月号の表紙です。
目次はこれ。↓

最後のページはこうですが…↓

同人にはすごいメンバーが載ってます。

父の友達で太宰治の弟子であった詩人の方が本を出版したときに、父が寄せた文章の原稿を以前読んだのですが、
「(太宰に) 一升瓶を渡したら、“君が持ってくれたまえよ。僕はペンより重いものを持ったことがないのでね” と言われて持たされた
」
とかいう話でした。
若い編集者である父が、言われる前に気を利かせて持てばいいのに…。それをユーモア混じりに諭してくれたんじゃないの?
と思いながら読んだ記憶があります。
引越しのとき、その原稿が気になってたけど、ついに見つかりませんでした。
昨日、母から電話で聞いた話によると、
父が母と結婚する前に、母方の伯父の面接(?)があったそうで、
そのとき 「尊敬する人は?」 と聞かれた父は、「太宰治」 と答えたそうです。
しかし、その2~3日後に太宰は自殺したそうで、それを聞いた父方の祖父が
「惜しいことしたな~。これでダメだな~」 と言ってたそうです。
ま、なんとかなったから私も存在するんですけど。
母の話によると、父は三鷹あたりの太宰の家に通って、最後の方は口述筆記で原稿をもらっていたそうです。
「そこは一字開けて」 など、指示はかなり細かかったという話です。
後にブログなんてものが発達して、こうして書くとは思わなかった。
生きてる間にもっと詳しく聞いて記録しておけばよかったと後悔してます。
せめて母が生きてるうちに、私の記憶があるうちに…と。
あと、父の話で覚えてるのは、金田一京助氏や豊田三郎氏に原稿を取りに行った話とか。
豊田三郎氏というのは、『天国に一番近い島』 の、森村桂さんのお父さんです。
子供であった桂さんはそのとき、父に恋したそうで、
2度目の結婚式のとき、「西さんは初恋の人ですから」 というカードを添えて招待状を下さいました。
そのカードを父は小さな額に入れて飾ってましたが、これも引越しのとき見つかりませんでした。
森村桂さんの、『それでも朝は来る』 という作品には、実名で父が出てきます。
桂さんは一度実家に来ていただいて父と雑誌の対談してくださったことがあります。
そのとき私は学校に行っていたので会えませんでしたが、『天国に一番近い島』 の感想を書いた手紙を母に託し、渡してもらいました。
その後、兄の結婚式に出席していただいたときに私もお話することが出来て、実物の桂さんの、はにかみがちで純粋な可愛らしさに魅了されました。
いつか軽井沢のケーキ屋さんに行って、父が亡くなったこと、
あのときとても喜んでカードをいつまでも大切にしていたことなどを伝えたかったのですが、叶いませんでした。
さて、『文藝時代』 ネタはまだまだ続きますが、余談で長くなりましたので続きは次回に。
引越しで、この雑誌の昭和23年3月号~昭和24年の7月号までのうちの10冊が出てきました。
トップ画像は昭和23年3月号の表紙です。
目次はこれ。↓

最後のページはこうですが…↓

同人にはすごいメンバーが載ってます。


父の友達で太宰治の弟子であった詩人の方が本を出版したときに、父が寄せた文章の原稿を以前読んだのですが、
「(太宰に) 一升瓶を渡したら、“君が持ってくれたまえよ。僕はペンより重いものを持ったことがないのでね” と言われて持たされた

とかいう話でした。
若い編集者である父が、言われる前に気を利かせて持てばいいのに…。それをユーモア混じりに諭してくれたんじゃないの?

と思いながら読んだ記憶があります。
引越しのとき、その原稿が気になってたけど、ついに見つかりませんでした。
昨日、母から電話で聞いた話によると、
父が母と結婚する前に、母方の伯父の面接(?)があったそうで、
そのとき 「尊敬する人は?」 と聞かれた父は、「太宰治」 と答えたそうです。
しかし、その2~3日後に太宰は自殺したそうで、それを聞いた父方の祖父が
「惜しいことしたな~。これでダメだな~」 と言ってたそうです。

ま、なんとかなったから私も存在するんですけど。

母の話によると、父は三鷹あたりの太宰の家に通って、最後の方は口述筆記で原稿をもらっていたそうです。
「そこは一字開けて」 など、指示はかなり細かかったという話です。
後にブログなんてものが発達して、こうして書くとは思わなかった。

生きてる間にもっと詳しく聞いて記録しておけばよかったと後悔してます。
せめて母が生きてるうちに、私の記憶があるうちに…と。

あと、父の話で覚えてるのは、金田一京助氏や豊田三郎氏に原稿を取りに行った話とか。
豊田三郎氏というのは、『天国に一番近い島』 の、森村桂さんのお父さんです。
子供であった桂さんはそのとき、父に恋したそうで、
2度目の結婚式のとき、「西さんは初恋の人ですから」 というカードを添えて招待状を下さいました。

そのカードを父は小さな額に入れて飾ってましたが、これも引越しのとき見つかりませんでした。
森村桂さんの、『それでも朝は来る』 という作品には、実名で父が出てきます。
桂さんは一度実家に来ていただいて父と雑誌の対談してくださったことがあります。
そのとき私は学校に行っていたので会えませんでしたが、『天国に一番近い島』 の感想を書いた手紙を母に託し、渡してもらいました。
その後、兄の結婚式に出席していただいたときに私もお話することが出来て、実物の桂さんの、はにかみがちで純粋な可愛らしさに魅了されました。
いつか軽井沢のケーキ屋さんに行って、父が亡くなったこと、
あのときとても喜んでカードをいつまでも大切にしていたことなどを伝えたかったのですが、叶いませんでした。

さて、『文藝時代』 ネタはまだまだ続きますが、余談で長くなりましたので続きは次回に。