実家での最後の発掘作業時に、小学校と中学校の卒業のとき、友達が書いてくれたお別れの言葉を綴ったノートが出てきました。
その中から、少し抜粋して載せます。
まず、小学校。
N.Sさんより。
そして、その次に書かれていた、K.M君より。
彼は、非常に優しい男の子でした。
塩を塗っていただいた傷口、今頃になって疼いております。
まことにありがとうございました。
さて、続きましては中学の卒業ノート。
M.Iさん。
J.Nさん
M.Kさん
H.Sさん
K.Kさん
K.Oさん
Y.Sさん
暖かい言葉の数々、この年になりましても心に染み入ります。
涙・また涙。
未だ居住致しますアンダーグラウンドに、静かに浸み込み続けております。
ついでに、十二支根付の自分の干支である亥年に書かれていた文章。
「亥は十二支の十二番目にあてられ尊ばれております」 と書きながら、
だもんな。
しかし、ホントのこと書くと、ノートに書かれた放送禁止用語などは ごく一部で、
しかも、そう書かれることが嬉しかったりしてました。
私、もともと無理して友達作ろうとするタイプじゃなくて、たいてい1学期の休み時間は自分の席で本を読んでいました。
ですから、1学期の印象は 「おとなしい人」。
で、2学期頃から本性が見え始めて、気の合う友達がわかってくる…というパターンでした。
キ○ガイでもバカでも良い。
そういう評価されても自分を貫けた学生時代に乾杯。
なお、トップ画像はノートの間から出てきた昭和49年3月12日( 火曜日) の毎日新聞の切り抜き。
中学卒業の記念に切り抜いて挟んだのでしょう。(なんで?)
裏の写真
追記
この写真の鈴木紀夫さんが気になって、検索してみました。
いくつかヒットしたけど、ココがいいかな。
「1986年、雪男探しに出かけたヒマラヤ・ダウラギリIV峰で遭難死した。享年38歳。」
夢枕獏の 『神々の山嶺』 の羽生を思い出しました。
さらに追記
ウィキペディアの情報によると、今年今月は鈴木紀夫さんが亡くなって、丁度20年目でした。合掌。
この下に今日の記事が、もうひとつあります。