大津市神領に鎮座される「建部(たけべ)大社」。御祭神は『日本武尊』、相殿神に『天照皇大神』、権殿に『大己貴命』が祀られます。
式内社(名神大社)で、近江国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「建部神社」と称されました。
由緒「御祭神、日本武尊は御年僅に十六才にて熊襲を誅し、更に東夷を平定されながらも三十二才にして伊勢の能褒野において崩御。父:景行天皇は尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられ、これが建部の起源とされる。景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命(ふたじひめのみこと)が、御子稲依別王(いなよりわけのみこ)と共に住まわれていた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創とされ、その後天武天皇白鳳4年(675)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として奉った。」公式HPより
一の鳥居から真っ直ぐに伸びる長い参道を進み、左に折れた先。左右に奉納灯篭が立ち並ぶ真正面に「神門」を臨む二の鳥居。
「神門」は境内地と神域の境いとなるもの。ここを潜れば御祭神の鎮座される神域となります。
神門正面には檜皮葺の屋根が美しい「拝殿」。由緒ある神社の社殿には、しっとりと落ち着いた檜皮葺がとてもよく似合います。
拝殿の右手前に聳えるのは、孝徳天皇の御代天平勝宝7年(755)、大己貴命を権殿へ奉祀された際、一夜にして成長したと伝わる御神木の三本杉。
建部大社の御神紋「三本杉」は、この故事にあやかって定められました。ちなみに御神紋が施された獅子口の細工瓦は、「牡丹に唐獅子・竹に虎」という凝った装飾です。
拝殿前、左右より神域を守護されるのは、明治15年3月建立の狛犬さん一対。
満開の牡丹の花を持つ阿形さん。彫りこまれた牡丹の花びらの繊細さは、まさに職人の技。逆さ構えの吽形さんの跳ね上げた足の力強さにも、惚れ惚れします。。
デジカメの液晶とにらめっこのご亭主殿、前を向いて歩かないとつまづいてこけますよ~。神職の方とすれ違ったのも気づかず、ひたすら、写したばかりの狛犬さんの確認に余念がありません。
拝殿から拝所へ。本殿 と権殿が鎮座される神域を守護されるのは、たっぷりと豊かな体躯の京尾太狛犬さん一対。
吽形さんは玉に前足をかけ、阿形さんは両足を踏ん張り・・・「紙垂」が付けられた細い注連縄を首にかけて、奥深くに座す御祭神を御護りしています。
本殿・権殿の画像は残せませんでしたが、昭和20年8月17日、日本で初めて作られた千円紙幣(甲号券)に「日本武尊と建部大社」が描かれています。
わずか7ヶ月間という通用期間であった為、幻の紙幣とされていますが、いかにも高額紙幣らしい格式高さ・・個人的には美しい意匠だと思います。
本殿を囲むように左右に鎮座する八つの社。上座4社には日本武尊の父母である景行天皇と皇后、御妃と御子が祀られ、下座4社には日本武尊の遠征に付き従った家臣の方々が祀られます。選んだ訳ではありませんが画像は4社のみで、摂社「藤宮神社」、御祭神は『布多遅比売命=( 日本武尊の妃)』。右に「若宮神社」、御祭神は『建部稲依別命=( 日本武尊の子)』
末社:「弓取神社」、御祭神『弟彦公 (日本武尊の家臣)』。左に「箭取神社 」、御祭神『石占横立、尾張田子之稲置、乳近之稲置(日本武尊の家臣)』
境内案内、明日に続きます。
参拝日:2010年6月12日&2015年7月15日