車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

安産(あんざん)神社 in 千葉県香取市小見川

2019年10月31日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

香取市下小川に鎮座される「安産(あんざん)神社」。御祭神は『仲哀天皇、神功皇后、応神天皇』

「創建は応和2年(961)肥前国松浦郡・小川神功社より、神功皇后の三韓征伐の折携帯されていた、鎮懐石の模安産石を納め奉り、「白幡大明神」と称した。文政6年(1823)正月7日、弊拝殿新築の際、神祇管より「安産神社」の社号を賜り、その後、明治41年12月に「熊野大神」を合祀。」

拝殿前より神域を守護されるのは、阿吽共に子狛と玉を持つ、昭和15年(1940)建立の江戸流れ狛犬さん。 実はこの神社、道一本間違えて進入してしまって、たまたま鳥居の前にマンホールが有ったので停車してもらって・・

その結果、こんなに心惹かれる狛犬さんに出会えたのですから、これはもう奇跡の出会い。御亭主殿の嬉しそうな事と言ったら😊 親狛の手の下で無心に遊ぶ仔狛、顔よりも大きな鞠を掴んで噛み付く姿が、何とも愛おしい!

鞠を手にする吽形さん・・・・の手元には、小さな鞠にじゃれて遊ぶ仔狛の姿もあります。

仔狛さんは親狛の持つ鞠の隙間に潜り込んで、もっと小さな毬に噛みついて遊んでいるのです。だから最初は鞠が二つ?と思ったのですが、こんなに出来のよい狛犬さんに出会えるなんて、絶対に「呼ばれた!!」のです😍

「境内拡張ノ記」と題された板碑には、「安産神社」の創立由来に関する事が刻まれています。

「神武天皇遥拝所」と刻まれた碑。

「信行霊神」とは、末法思想からの救済を説いたと云われる僧の霊を神格化したものでしょうか? 色々とググって見ましたがどうも良く分かりません。

境内の一画には上記の碑以外にも、たくさんの「庚申塔」や「末社碑」が建立されています。 全ての碑に拝礼し、今回の僥倖を感謝しつつ、この先の旅の無事を、改めて願って来ました🙏🙏。

参拝日:2019年3月13日

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横利根閘門(よことねこうもん) in 千葉県香取市

2019年10月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

関西人にとって「利根川」というのは、ああ、ずいぶん遠くまで来たんだなと思わせる名称。 もちろん、東北や北海道・九州のほうが遠いのですが、色んな媒体で耳にする回数からするととにかく多い。「利根の川風」とか「大利根の月夜」とか(これ・・分かる人っているんだろうか)とにかく、私には、馴染み深い名称😅

その馴染み深い「利根」に横がついた横利根川って??一体どんな川なのか、実は期待で一杯。 しかもその横利根に大正10年(1921)に作られた、重要文化財の煉瓦造りの閘門があると言うのですから、これはもう行かなきゃ!。

ちなみに横利根川で調べたところ、茨城県と千葉県の県境の一部をなす、延長約 6kmの水路・・  水路ぉ~!? 川じゃなくて?? もうこの時点でびっくりしすぎて言葉を失いましたが😲

ただし、水路とはいってもそこは利根の名前を持つ川だけに、幅約 100m、水深は3mもあります。 「横利根閘門(よことねこうもん)」は、その県境に位置する利根川改修工事の一部として着工されたとHPに記載がありました。

七年の歳月をかけて完成した閘門は、閘室と、閘室の両端にある閘扉室で構成されています。 専門的な知識は皆無なので、何がどうという説明は全く出来ませんが、兎にも角にもに美しい光景です。

今も現役なのかどうか・・もしかしたら展示として置かれているのか、巨大な歯車もあります。 多分これを使って閘室の扉を開閉したんだろうなと言う程度の知識ですが、迫力は満点。良い物を見せて頂きました。

訪問日:2014年5月17日

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月崎(つきざき)駅 in 千葉県市原市

2019年10月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市月崎にある小湊鉄道線「月崎(つきざき)駅」。大正15年(1926)9月1日に開業した駅です。 立ち寄り地として全く予定していなかったのですが、たまたま通りがかりに見た景色に惹かれ、急遽、立ち寄る事に決定。

駅前の案内には、市原市田淵の地球磁場逆転地層、いわゆる「チバニアン」の最寄駅である旨が詳しく書かれています。 また、2017年5月2日に「本屋及びプラットホーム」が、国登録有形文化財になった旨も記載されています。立ち寄って正解みたい😄

なんとも良い雰囲気に気を良くして近くをうろついていると、電車が入ってくる様子。慌ててホームへ取って返し、デジカメの準備をしながら近づいてくる車体を待つ二人。

入ってきたのは「小湊鐵道」で運行する、養老渓谷駅行きの「機関車と里山トロッコ列車」。思わず「ラッキ~~~~!😍!😍」

後で色々調べたところ、この機関車は「小湊鐵道」で実際に走っていたものを再現したとか。いやぁ偶然ですが、良い物が見られました。これも日頃の行いが・・とご亭主殿😅

いつかこんな列車に乗ってみたいねと話しながら、去ってゆく「里山トロッコ列車」を見送ります。 線路の向こうに遠ざかる姿を見送る・・、それだけで小編の物語が書けそうな、そう私って実は中途半端な文学少女だったのです😉

折角なのでもう少しと辺りをうろついていると、小さなな通路のような隧道跡を発見。 もしかして上り線への通路として使われていたものでしょうか?なんだかよく分かりませんが、でもただ見過ごすには捨てがたい魅力があります。

蔦に覆われた建物は「旧保線員詰所」、建物を覆う苔は、実は人為的に壁面に貼り付けられたモノだそうです。旧詰所を利用した建物は、「いちはらアート×ミックス2014」の時に「森ラジオ」と名づけられ、この形になったと後で知りました。

「ここに行く」と決めた目的地も良いですが、偶然見つけた素敵な場所は又格別なもの。 本当はこんな風に余裕を持って、足の向くままに旅が出来れば・・きっと素敵なんでしょうがねぇ~、中々そこまで余裕が持てない貧乏性なんです。

訪問日:2019年3月7日

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郡本(こおりもと)八幡神社 in 千葉県市原市

2019年10月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市郡本に鎮座される「郡本(こおりもと)八幡神社」。御祭神は『誉田別命』

創建時期等の詳細は不詳ですが、奈良時代の上総國「市原郡衙(ぐんが)」の地とされています。 本殿は異様なほど鮮やかな丹塗りで、一瞬「稲荷の社」を想像し、後で社額を見直した程。

拝殿はネットで見た時は本殿同様、丹塗りの真っ赤な建物でしたが、今は「丹」の片鱗すらなく、全く面影もありません。 いつから変わったのか調べてもよく分からず、ちょっと期待していただけに残念。

拝殿前から神域を守護されるのは、延享5年(1748)8月建立「江戸中狛犬」。「江戸の初め」の狛犬に続く年代だから「江戸中」だそうで、単純明快な分類。

それにしても立派な顎のお髭(狛犬さんだから顎鬚は変ですが)、丸っこい体に短目の脚・・ 顔の造作と体のバランスが、まるで別物を繋ぎ合わせたように見える、不思議な一対。

境内の一画に建立されていた「郡本青年団 団歌」の碑。この町の青年団は今でも活発な活動がされているようですね。 私が育った町にも「青年団」なるものがあり、子供会の世話や消防団のお手伝い等をしていて随分と良くしていただきました。とても懐かしい思い出です。

御神木の「郡本八幡神社のイチョウ」。その樹齢は200~300年と推定されています。

神社周辺は市原郡家の比定地とされ、参道付近には建物の礎石とされる石も安置されています。 この「石祠」が何を祀ったものかは不明ですが、遺跡発掘の経過上の「何か」かもしれません。

参拝日:2019年3月19日

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飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の三 in 千葉県市原市

2019年10月25日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

二日に渡った境内紹介、龍の口から御神水が流れ出ている「神龍泉」、とは言えお水取りが出来そうな量ではありません。 龍のお顔は何と言うか・・・真っ直ぐに立っているのは顎が疲れるのか、つっかい棒が必須ですね。

「飯香岡八幡宮」の境内には多くの文学碑や記念碑、銅像などが建立されており、どっちかというと「碑・像」マニアに近い私は境内を走り回っております😄 こちらの石碑は安政2年(1855)建立の「林文暁伝碑」【姓は岸本、名は信成、字祐助、文暁はその号なり。竹を愛して此君、林と称し、狂歌を嗜て有磯、浜人と号す。越中富山の城主佐々蔵助成政の胤なり。・・~中略~・・清貧に安んずること二十余年、天保十五季(年)甲辰の四月二日病を得て終に没す。八幡郷に住すること三十八年、齢八十二・・】

「林文暁伝碑」の隣には、享和三亥(1803)十二月吉日建立の石祠が奉祭された「道祖神」があります。

こちらの碑は明治40年(1907)建立で、元千葉県知事『月洲庵知雪』の句。

【名月や あさなき鳥も おきている】

拝殿近くには、二・二六事件を題材にした小説「叛乱」で直木賞を受賞した『立野信之』の文学碑。 ご亭主殿に聞いたところ、一応「叛乱」話題になった折に読んだそうです。

「日露戦役記念碑」と刻まれた石碑は、境内の裏手のほうにひっそりと建立されていました。

ここからは私の大好きな句碑・歌碑が続きますが、嬉しい事に碑の文字が全部解明されてます。安政二年乙卯(1855)正月建立『長四郎 一徳』

【御神楽の 拍子に昇る 初日かな】

安政二年乙卯(1855)四月建立の碑は【息災て 古稀の美空や はつ鴉】 

【ほととぎす 鳴き入る山の  月寂し】天名地鎮庵宗匠俳句碑

従一位源朝臣建通八十六齢 明治三十三年(1900)、飯香岡はかって御影山と称されていました。 【御影山  神のめてにし飯香岡  むかしをかけく 世に匂いけり】

万葉宗匠の句碑【見わたせば  花たたずむは さくらかな】

ここからは「銅像(胸像)」の紹介。トップは八幡の教育に貢献した『川上規矩(南洞)』先生。 明治31年(1898)、私財を投じて千葉県皇典講究所普通学郡を設立、子弟の教育に専念した人物です。

八幡町出身の『菅野儀作』像、参議院議員を3期勤め「県政界のドン」と評された人物だそうです。

『楠原三之助』像、神社に多大な貢献をされた人物ということですが、それ以外はよくわかりません。

『大岩幸男先生』は、潮干狩りで溺れた児童を助けようとして遭難、殉職した教師だそうです。 よく似た教師の殉職碑・・横芝光町の「成田山御本尊上陸の地」の近くでも見かけました。

参拝日:2019年3月19日

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飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の二 in 千葉県市原市

2019年10月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

昨日に続いての「飯香岡八幡宮」。御本殿の右奥には、香華もまだ瑞々しい「忠霊塔」が建立されています。「忠霊塔」の前には立派な歌碑が建立されており、碑文を読み進むうち目頭が熱くなりました。

【身をすてて いさををたてし人のなは  国の誉れと 共にのこさむ】明治天皇御製 日本国に存在しない「A級戦犯」を平気で口に出し、さかしらに平和を説く何処かのどなた!平和とはこうした方々の命によって贖(あがな)われたのです。

「忠霊塔」の手前に建立されている「凱旋碑」、「日清・日露」いずれかの記念碑と思われます。

「忠霊塔」に並ぶように、五つの境内社が本殿を見守るように、鎮座されています。 「ものがみの社」。御祭神は『八衢彦(やちまたひこ)命・八衢姫(やちまたひめ)命』

画像左・「金比羅神社」、御祭神は『大物主神』。古来より海の神様としての御神徳があります。画像右・「天神社」、御祭神は『菅原道真公』。古くより学問の神様として信仰を集めました。

画像左・「若宮神社」、若宮の名前の通り八幡神の御子神である『仁徳天皇』。画像右・「海辺神社」、御祭神は海上・海中・海底の神とされる『綿津見神三座』

上記の末社郡と対を成すような感じで、本殿と社務所の間に三つの末社が鎮座。「末社:大神宮」、伊勢神宮の外宮の神様で食を司るとされる『豊受毘売命』を祀ります。

画像左・「末社:飛鳥宮」には、勅命によって飯香岡八幡宮が鎮座した事に因み『天武天皇』を祀ります。 画像右・「摂社:高良大神」には『高良玉垂命』、相殿に『高御産霊神・神御産霊神』が祀られます。

本殿後方には、「羽黒山、月山、湯殿山」のそれぞれの神々を祀る「出羽三山神社」が鎮座。

「羽黒山」は『稲倉魂命』「月山」は『月読命』湯殿山は『大山祇命、大国主命、少彦名命』。 修験道を中心とした山岳信仰の場として有名で、ここに見られるように各地に勧請されています。

「出羽三山」の隣、鳥居の奥には、神格化された富士山が祀られる「浅間神社」が鎮座します。

そのすぐ近くには「富士塚」と呼ばれる小山があり、頂上には鳥居と祠が建立されています。 頂上までの途中には、富士山のお胎内を模した洞窟もあり、富士山好きには最高の眺め。

「飯香岡八幡宮」に隣接しているのか、敷地内なのか不明ですが、単独で祀られる「八坂神社」。御祭神は『須佐之男命』。他の摂・末社が並んで祀られているので、きっと境外社なのでしょう。

最期は、鳥居の奥に鎮座される「厳島神社」、周囲は水路のようですが、水は流れていません。 御祭神は『宗像三女神』とも、あるいは『弁財天』とも称される、水に縁の深い神様なのですが、何故水が無いのかは不明。

参拝日:2019年3月19日

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飯香岡(いいがおか)八幡宮~其の一 in 千葉県市原市

2019年10月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

市原市八幡に鎮座される「飯香岡(いいがおか)八幡宮」。旧・上総國の国府總社に比定されます。

御祭神は中殿に『誉田別命』。左殿に『息長帯姫命』。右殿に『玉依姫命』。前殿に『猿田彦命』。左相殿に『日本武尊・足仲彦尊・経津主命』。 右相殿に『天穂日命・中筒男命・事代主命』

木製両部鳥居の扁額は天保12年(1841)の奉納、見事な登り龍と降り龍の彫刻が施されています。

境内由緒に【飯香岡八幡宮として鎮座する以前は六所御影神社と称したといわれ、白鳳年間(675年)、一国一社の八幡宮として勧請されたことに起源をもつという。天平宝字3年(759年)全国放生の地に鎮座する国府八幡宮と定められ、国府司祭の放生会を現在に伝える上総の国の古社の一つ。中世以降上総総社としての機能を持つ。その名残から、国府総社と尊称されている。 保元3年(1158)、山城国の石清水八幡宮『諸国荘園官符』に「上総国市原別宮」と記載され、石清水八幡宮別宮の市原八幡宮として中世以降、源氏・千葉氏・足利氏・徳川氏の崇敬を集めた。】

手水舎の前より神域を守護されるのは、大正六年(1917)九月吉日奉納の平ったいお顔の狛犬さん。頭の下にすぐ分厚い瞼が有って小さな鼻が有って大きな口が有って、何というか、とても機嫌よいお顔で参拝者を出迎えてくれます。

阿形さんと吽形さんの口の開きにはそんな差が無いように見えますが、でもちゃんと、微妙に違ってます。 厳つくも無く、猛々しくもない、顎の下を撫でられたら喉を鳴らしてくれそうな一対。

鳥居から真っ直ぐの拝殿は墨書銘によって元禄4年(1691)の建立とされます。正面5間、側面3間で、屋根は入母屋造、銅板葺。正面中央に千鳥破風をつけ、向拝中央は軒唐破風となった優美なつくりで、県指定有形文化財に選定。

拝殿後方には、室町時代中期(15世紀)と推定される、入母屋造、銅板葺の本殿が続きます。正面3間、側面2間の総丹塗り、屋根は銅板葺の入母屋造りの本殿は、国指定重要文化財に指定。本殿と拝殿は幣殿で繋がれ一体化した構造の権現造となっており、優美な姿を見せて鎮座されています。

飯香岡八幡宮本殿の右側には、千葉県指定天然記念物の「夫婦銀杏」が、枝を広げています。 社伝に、天武天皇4年の八幡宮勧請の際、「勅使:桜町中納言季満」によって植えられたと云われます。

夫婦銀杏の傍らには、中納言季満お手植えの際に詠んだ歌の碑が、明治24年に建立されています。
【君が為 けふ植そへし銀杏樹(ちちのみ)に  いく世経んとも 神やどるらん】 

もう一つの碑には【ちちの木の かみをたのまぬ  人なかりけり】『佐々木高行』

社殿の左側には、『源頼朝』が逆に植え根付いたとされる「倒いちょう」も高く聳えています。 どの木にも謂れがあり、それらを見て周るのもまた楽しみです。

境内の一画で存在感を主張する「神楽殿」。祭礼の時にはお神楽などで賑わうそうですが、今はただ静か。

「神楽殿」の近くには、いつのまにか住み着いてしまったという「鶏」が人懐こく近寄ってくれました。 こんなに人馴れしているんだから、神社で飼っている神鶏かと思ったのですが、実は違うそうです😅 ?? では何処から???

「放生池」は、仏教の戒律である「殺生戒」に基づいて、生物を放つ池を称した池の名称。 神仏習合によって神道にも取り入れられた儀式で、放生の地に鎮座する国府八幡宮ならではの景色。

もう一つ、境内に建立されていた「青面(しょうめん)金剛尊」の文字碑も、やはり仏教の庚申信仰から。「青面金剛明王」とも呼ばれ、「三尸(さんし)」を押さえる神とされています。

境内には、他にも多くの境内社や、興味深い歴史の一片を物語るものなどが沢山あります。 歌碑や句碑など、判読できるものもそうでない物も含めて、残りは明日・・・明後日まで続きます。

参拝日:2019年3月19日

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神明神社 in 千葉県千葉市

2019年10月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉市村田町に鎮座される「神明神社」。御祭神は『天照皇大神・大日要貴命・豊受皇太神・月夜見命』

境内記念碑:由緒より【村田の守護神新明神社は、治承4年(1180)源頼朝が日本武尊の故事にならい創建を命じられたものと傳えられている。永祿年中(1558~70)大津波ありて村田一円の建物悉く流失したが、本社の祠だけが泰然と残った。従って村民の崇敬を更に深め直ちに小さな社屋が再建された。その後我々の祖先が弘化元年(1844)より嘉永5年(1852)の九年間僅かの戸数で一致協力して現在の総欅神明作りの社殿を建立したものである。狛犬もその時(嘉永5年)のものが現在に至っています。】

拝殿前左右より神域を守護されるのは、嘉永5年(1852)壬子2月吉日建立の、奥目の江戸流れさん一対。 どちらも軽く右手を上げているのが、まるで「お手!」と言われて素直に応じる子犬のよう😊

台座には「行徳川原の石工『治兵エ』」の名が刻まれていますが、この狛犬さん、前にも拝見したような・・ ああ確か、「前髪が目に入るから切りなさい」と言った母を思い出させてくれた・・あの狛犬さんにそっくり!

「境内社:稲荷大明神」、言わずもながですがご祭神は『稲荷神』。 さらにもう一社「稲荷大明神」の祠があり、石碑に朱の文字で『稲荷大明神』と刻まれています。

「境内末社:子安大明神と痘神」「痘神(ほうしん)」とは、疱瘡(天然痘)を擬神化した悪神。 その昔は、死に至る事もあった恐ろしい病。人知では抗う事の出来ない厄災を神として祀り上げる事で、難を逃れようとしたのかもしれません。

水難から人々を救うとされる「水天神」「弁財天神」と共に、町民の祖として敬信されています

「道祖神」は厄災の侵入防止を祈願するための村の守り神、集落の境や村の中心に祀られます。

境内には他にも沢山の境内社や石碑が建立されており、「身延登山記念碑」「関西 四国 中国観光記念」・・・

「伊勢〇〇記念碑」。右に至っては解読不能😓

並んだ碑二基、多分写真に残した時は分かっていたと思うのに、今となっては画像からは読み解けません😓

参拝日:2019年3月19日

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千葉神社~其の二 in 千葉県千葉市

2019年10月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

昨日に続いての「千葉神社」。生憎と駐車場が満車で車の置き場所が無く、ご亭主殿は何時でも移動できるように離れた場所の車内で待機。それもあって時間に急かれての撮影。画像としては今一つなものが多いと後で見直せば出てくる不満。ともあれ、妙見池に架かる「ねがい橋・かない橋」の奥に鎮座される「末社12社」からスタート。

橋の先には岩屋風の「御嶽神社」。頂上に『国常立尊、大山祇神、瓊瓊杵尊』、御三方の銅像が祀られています。

左から「神明社」・「三峯神社」・「日枝神社」・「天神社」・「八幡神社」が鎮座。 「八幡神社」が養和元年(1181)と最も古い勧請。「日枝神社、天神社」が寿永元年(1182)、「三峯神社」が文政5年(1822)、旧・横町より移転した「神明社」が明治15年(1882)と記されています。

天明2年(1782)、兵庫県の西宮神社の御本社より勧請した「西之宮」、御祭神は『恵比寿神』。 天保11年(1840)勧請の「金刀比羅宮」には、『金山彦神、大物主命』の二神。

「金刀比羅宮」の前より神域を守護されるのは、例の、桃鉄に登場する○○神に似た狛犬さん。 阿形さんの傍らには、将来絶対に親狛と同じ顔になること間違い無しの仔狛も大人しく控えていました。

吽形さんは、仔狛の為の鞠を手にして得意満面な顔。「この毬をGetするのに、ものすご~~~くガンバッタんだぞ!!」みたいな😊

治承3年(1179)勧請の「稲荷神社」には、『稲倉魂命、保倉神、稚産霊神』。 寿永元年(1182)勧請の「星神社」には、『星香々背男 (あめのかがせお)神』

御本社の妙見様と同時期の勧請とされる「姥神社」には、『妙見様の姥(乳母)』。 寿永元年(1182)勧請の「厳島神社」には、『市杵嶋姫命(別名:弁財天)』が祀られます。

姥神さまの前より神域を守護されるのは、阿吽それぞれが別の石工の作と思われる一対。

鋭くとがった牙など、どことなく「狼」を思わせる風貌は、間違いなく見覚えのある顔立ち。どこだったかな・・・

ラストは「千葉神社」の目的だった芭蕉の句碑(見つけられず、巫女さんにお聞きしました)。碑には元禄5年に金沢の門人『句空』に贈った『芭蕉』の句と、江戸後期の俳人で伊勢津藩士であった『完来』の句が刻まれています

【うらやまし 浮世の北の 山櫻】『芭蕉』
【海はれて 動かぬ星や 秋の空】『完来』

参拝日:2019年3月19日

今回の「千葉神社」ですが、先にも書いたように珍しく一人で参拝しています。 いずこも同じですが、駐車場が不便な場所はよほどでない限り避けることにしています。ここへの目的は、鳥居前のマンホール撮影と、境内の奥にある「芭蕉の句碑」だけ。多分、ものの数分も有れば済むだろうという事でご亭主殿は車で待機。気持ちは焦るし、画像に残したいものは「獅子児鍛錬像」を筆頭に枚挙にいとまがないほど。この神社に関しては調査不足でした。

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千葉神社~其の一 in 千葉県千葉市

2019年10月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

千葉市中央区院内に鎮座される「千葉神社」。御祭神は『天之御中主大神・経津主命・日本武尊』。 北辰妙見尊星王の本宮を意味する「妙見本宮(みょうけんほんぐう)」とも呼ばれます。

1990年に竣工した社殿は、上下に二つの拝殿を有する日本初の重層社殿。一般的な神社の拝殿とは異なり、様々な人たちが気軽に参拝できる設備が整えられています。余談ですが、2018年には「ミキハウス子育て総研」によって、「ウェルカムベビーの神社」に認定されたそうです。

縁起に【千葉氏の守護神である北辰妙見尊星王(妙見菩薩)を本尊とする寺院(千葉妙見宮)として建立。覚算大僧正によって伽藍が整備されたと伝えられる。江戸時代には「北斗山金剛授寺尊光院」と称する真言宗の寺院であったが、明治の神仏分離によって神社となり、本尊も祭神に改められた。ただし、妙見菩薩と天之御中主大神は、神仏習合によって同一とみなされてきた経緯があり、今日でも同社が日本有数の「妙見信仰」の中心とされてきている。】

「尊星殿(そんじょうでん)」は神社建築では類例のない楼門と社殿の複合建築物。中央を「福徳殿」、東を「日天楼」、西を「月天楼」、上階を「開運殿」とし、北辰妙見尊星王が掌握する日・月・星の御力を個別に授かれるようになっています。

表鳥居の内には、昭和天皇即位御大礼記念として、昭和4年(1930)5月建立「獅子児鍛錬像」。獅子が我が子を千尋の谷に突き落として鍛錬したと伝わる故実を題材とした、写実味豊かな逸品です。

鍛錬されるというより、機嫌よく遊んでいたら置いていかれた・・といった表情の仔狛😅 思わずヒョイと抱き上げて拉致りたくなる。

一方、お約束通りに谷底に仔狛を落とした吽形さん。本当は不安でたまらないのか、つんのめりそうな姿勢で仔狛を見ています。

でも仔狛も負けていません。一歩、また一歩と必死に崖をよじ登っている姿が胸を打ちます。

ところがもう一匹は、何でこんな理不尽な目にあわなければいけないのか納得できない様子。 仰向けになってじたばたと抗議の真っ最中😅。こんな格好の子供・・たまに見かけます。

社殿の右手に鎮座されるのは、寿永元年(1182)に千葉神社に勧請された「摂社:千葉天神」。御祭神は『菅原道真公』。県内最大の天神社とされます。社殿は昭和29年に再建された千葉神社の旧社殿だったもので、その後、境内西側に移築し「千葉天神」の祈祷殿とされています。

ご祭神である『妙見様』は「水神」でもあり、古くから妙見の霊泉などとされる場所が各地に存在します。 「霊泉・延寿の井」の側に鎮座する「美寿之宮」。御祭神は『水御祖(みずのみおや)大神』

「美寿之宮」の近くには『妙見様』の神使いである「玄武」を象った「亀岩」が鎮座。 多分見る位置によって違うのでしょうが、どうしても「亀」の姿が見えてきません😥

予想外に見どころが沢山の「千葉神社」、明日は妙見池の向こうに鎮座する摂社群を紹介します。

参拝日:2019年3月19日

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