西大寺の境内には多くの伽藍が立ち並び、いずれも長い歴史に守られてきたものばかり。寺内最古の建造物である、岡山市指定重要文化財「三重塔」は延宝6年(1678)の建立。
塔の初重内部の中央には、金剛界・胎蔵会の主尊である「大日如来」が祀られています。
仁王門を入って右、三重塔の左手に建つのは、嘉永七年(1854)の建立とされる「六角経蔵」。大工は光政村光津(岡山市光津)の名工といわれた『尾関瀧右衛門一正(1805~74年)』の造営。輪蔵は六角形の土間形式で、外側は柱が見えない大壁造・内側は柱が見える真壁造、本瓦葺の建物です。
仁王門入って左に「弘法大師」が祀られる「高祖堂」。伝18世紀末とされる建築で御影堂とも呼ばれ、国登録登録有形文化財の指定。
本堂の向かって右手、巨大な楠の横には朱の鳥居が並ぶ稲荷社が鎮座されています。
この社殿は元来、御真影と教育勅語を納めていた奉安殿として昭和10年(1935)頃に今町の初代伊原木利七氏の寄付により西大寺小学校に建てられたものです。しかし、終戦後に西大寺に移築が叶い、今日まで稲荷神社として大切に守られて来ました。
稲荷社の鳥居横にある樹齢約150年の楠、薬の木とも言われる「活力の楠」には、悩みや苦しみを消除する力があると云われています。
西大寺伽藍の奥深くに鎮座されるのは明治13年(1880)建立の「牛玉(ごお)所殿」。拝殿・釣殿・本殿・奥殿よりなる複合建築で、集住大工の一派として著名な邑久大工の「田渕勝義」が長時間をかけて完成させました。
倉敷の瑜伽大権現と四国の金比羅大権現との両参りが盛んであった頃、西大寺牛玉所殿が加わり、江戸時代後期に三社参りとして隆盛をみたといいます。中央本尊に鎮守 牛玉所大権現と金毘羅大権現を合祀し、脇には疫病除けなどのご利益がある青面金剛が祀られています。
第一駐車場へとむかう参道には、ご本尊の御影を模した千手観音と並ばれて「北向き地蔵」が祀られています。地蔵菩薩本願経に「地蔵菩薩を北向きに供養すれば土地家屋安穏にして失亡天に生じ、現世には福寿増長、厄難消除下さる」と明示されているそうで、多くの方々の信仰を集めています。
お堂脇には江戸時代の素人力士「玉の森大吉」などの石塔が立てられています。玉の森は江戸時代に堂宇が炎上した際、石門に上って鐘を投げ落とし、焼失から救ったと云われています。
こうしてブログにしてみると、もっとゆっくり一つ一つの堂宇を見たかったなと、いつでも後になって同じ後悔を繰り返している気がします。また次の機会にはと思いながら、気がつけば一緒に参拝した母も鬼籍に入り、生まれ育った家も無くなってしまいました。せめて兄や義姉が健在なうちに、この後悔を取り戻せれば良いのですが😓
参拝日:2009年9月22日&2019年7月17日