古くは5つの社殿と72の末社があったとされる「吉備津神社」。三日目の今日は、廻廊から訪ねる「御釜殿」や、摂社・末社の紹介をしていきます。
神秘的な雰囲気を漂わせる廻廊、柱越しに見る景色は非日常的な美しさを見せて、その度ごとに足を止めさせます。ことに三度目は五月の参拝だったことも有り、美しい牡丹の出迎えを受けました。
廻廊の半ば当たりを右手に折れて真っ直ぐに進むと「本宮社」正面に出ます。御祭神は『細比売命(くわしひめのみこと)、大倭根子日賦斗邇命(おおやまとねこひこふとのみこと)、大倭玖邇阿礼比売命(おおやまとくにあれひめのみこと)、吉備武彦命、百田弓矢比売命(ももだゆみやひめのみこと)、百田大兄命』
本宮社から横に続く国重要文化財の「お釜殿」。慶長11年(1606)に鉱山師・安原知種が願主となって再建した建物は、単層入母屋造の平入で、本瓦葺。南北に伸びた長方形で北二間に釜が置かれ、ここで毎週金曜日に「鳴釜神事」が行なわれます。
「備中吉備津宮御縁起」に、「吉備津彦命が、備中岩屋に住む鬼とされる温羅を退治し、その首を首村に晒したが、首は何年たっても唸り声を発し続けた。ある日、啓示を受けた命が、吉備津神社の下の地中深くに移すと唸り声がおさまった。」という伝説があり、それがこのお釜殿の下とされています。
「鳴釜神事」とは、釜の上に蒸篭(せいろ)を置いてその中にお米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた時に鳴る「おどうじ」の強弱・長短等で吉凶を占う神事。「阿曽女(あそめ)」と呼ばれる巫女と神職とによって執り行われ、「おどうじ」が強く長く鳴るほど良いとされています。
廻廊の途中、左手の土手上に鎮座されるのは商売繁盛・家業繫栄の神様「えびす社」。特に1月9・10・11日のえびす祭りでは縁起物を求めるたくさんの人で賑わいます。
寄り道ばかりで中々先に進みませんが、続いて吉備津神社の南端に鎮座される「本宮社」へ向かいます。
参道〆鳥居の前より神域を守護されるのは、寛政三年建之の非常に精悍な狛犬さん一対。特に吽形さんの、角と見紛う高く尖った耳が印象的です。
吉備津五所明神の「内宮・新宮」が合祀された「本宮社」。『孝霊天皇(父)・吉備武彦命(子)・百田弓矢姫命(妃)』を御祭神とします。
本宮社本殿の玉垣内より神域を守護されるのは、尾道型の玉乗り狛犬さん一対。手にした大きな玉は、よからぬ者たちが来た時に投げつける武器になりそう。それにしても阿形さん、随分とご機嫌ですね。何か良いことありましたか? 吽形さんのその含み笑い、知ってるなら教えて下さいよ~😄
本宮社の側には「吉備中山細谷川古跡」と刻まれた碑が建立され、裏に古今和歌集の一首【まがねふく 吉備の中山おびにせる ほそたに川の音のさやけさ】と刻まれています。
境内を出ると道路を挟んで右手に旧社務所の建物があります。上へと続く道路は「吉備の中山」に続いており、南の山頂には御祭神:大吉備津彦命の陵墓があると案内に有りました。
大吉備津彦命の陵墓付近を源とする細谷川。その川沿いの岩場には、朱と白のコントラストが美しい「末社:滝祭宮」が鎮座されています。
再び境内に引き返し、左手に進むと「岩山宮」の鳥居が有り、長く上に続く石段参道が見えてきました。 吉備国の地主神『建日方別命』を御祭神とする「五所大明神」の1社ですが、流石に上までは無理と判断し、鳥居からの拝礼としました。
境内社、最後は、学術神・遊芸の神として江戸時代の国学者達の信仰を集めてきた「末社:一童社」。
御祭神は『菅原神(道真)・天鈿女命』。天神様でお馴染みの「菅原道真公」が鎮座されるとして、近年では特に大勢の受験生たちが訪れるそうです。
歴史に裏打ちされた美しい建物を擁する「吉備津神社」。まだまだ紹介は終わりそうに有りませんが、続きは明日の吉備津神社~4~で。
参拝日:2007年9月22日&2011年8月16日&2015年4月27日