車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

吉備津神社~其の一 in 広島県福山市新市町

2021年08月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・広島県

福山市新市町に鎮座される「吉備津神社」。備後国一宮で、地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と通称されます。主祭神は『大吉備津彦命』。相殿神に『大日本根子彦太瓊命(父)。細比売命。稚武吉備津彦命(弟)』

創建は平城天皇の御代、吉備国が備前国、備中国、備後国に分国された後の大同元(806)年3月、備中中山吉備津神社より『大吉備津彦命』を分祀。中世より備後国一宮として崇敬を集めました。

鳥居を入って真っ直ぐに続く参道、まずは福山市指定文化財である、八脚門「下随神門」に出迎えられます。

神門内より神域を守護されるのは、勇ましく矢をつがえて立つ矢大神。後方に見えるのは石仏と思われますが、こちらにも神宮寺があったのかもしれません。

随身門からさらに真っ直ぐに続く石段参道、その先に「上随神門」が見えてきました。社伝に「10月の神無月には全国の神が出雲に集まるが、ここの大吉備津彦命のみが欠席した。そこで出雲から2人の使者が吉備津神社へ派遣されたが、2人は歓待を受けそのまま吉備津神社の親衛の門守として仕えることとなった。そのため上下の随神門が作られたとされる。」

上随身門の先、拝殿の下段には寛文13年(1673年)造営の「神楽殿」。桁行二間、梁間一間の高床の舞台に入母屋造妻入で銅板葺の屋根が設けられています。現在は銅板葺の屋根ですが古くは檜皮葺だったそうで、広島県指定文化財の指定。

神楽殿の左右に伸びる石段の先、本殿の下段に建てられている拝殿は本殿とともに慶安元年(1648)の造営で、福山市指定文化財の指定。

吉備津の神が鎮まる入母屋造檜皮葺の御本殿。慶安元年(1648)備後国福山藩初代藩主『水野勝成』の造営によるもので、国の重要文化財に指定されています。

本殿前より神域を守護されるのは、文政7年(1824)7月建立の備前宮獅子一対。長い長い時を外気にさらされて来た為、そこかしこに痛みは見られますが、独特の風貌を持たれれており、とても良い表情をされています。

本殿前左右より神域を守護されるのは、慶応2年(1866)建立の尾道方玉抱き狛犬さん一対。なかなかにきつい顔立ちですが、その立ち姿の所為か妙に可愛く見えるのが、このタイプの特性かも。

冒頭の御朱印は・・お願いした神主さんが、丁度何方かの御祈祷と重なってしまった為、社務所の方が書いて下さったものです。でも私が目の前にいる状況で「とりあえず書いとったで~」と大声で神主さんに知らせるのも、それを受けて「かまわん、かまわん」と答えるのも止めて欲しかったと思います。私にとって御朱印は、一期一会となる大切なもの。とりあえずいただきに来た証しの記念品では有りません。それは大らかではなく無神経と・・普通は言います。

明日は境内の様子や、鎮座される摂社・末社などの紹介をします。

参拝日:2015年4月29日

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