岡山市中区奥市に鎮座される「岡山護国神社」。御祭神は『岡山県出身並に縁故ある殉国の英霊』
由緒「当社は備前藩主池田章政公が、明治2年4月後楽園裏竹田河原に於て、奥羽戦争戦死者監軍、雀部八郎時宜命を始め34柱の招魂祭を執行し、同年6月上道郡門田村幣立山地180坪に社殿と碑石を建て奥羽、函館両戦争戦死者を祭祀したのを起源とす。明治7年に官祭招魂社に列せられた。大正4年に本殿遷座祭齋行。昭和14年に岡山縣護國神社と改称するも、敗戦後の連合軍の進駐により昭和21年に操山神社と改称。その後講和條約の発行に依り昭和27年に岡山縣護國神社と復称した。昭和37年10月23日には天皇皇后両陛下の御親拝を仰ぎ現在に至る。」岡山神社庁HPより抜粋
一の鳥居脇左右より、御英霊方が鎮まる神域を守護されるのは備前宮獅子一対。おそらくここに鎮まる方々の中にも、備前の焼き物に携わっていた方もいた筈・・名前しか知らない我が身うちも・・そう思うと獅子の顔も何故か優しげに見えてしまいます。
岡山市中心部を流れる旭川の東、操山(みさおやま)の緑に包み込まれるように鎮まる護国の御社。戦争を知らない世代ですが、それゆえにこそ今ある平和の礎となられた方々には深い感謝しかありません。
拝殿で手を合わせるとき、私はいつも忸怩たる思いに唇を噛み締めずにはいられません。何故この国は、命を賭して国を守ろうとした方々への感謝の心を忘れたのでしょうか。あまつさえどこかの国の嘘と言い掛りを間に受けて、ご英霊たちを貶める事を平然と言葉にし、謝罪をし続ける事が良心的などと言うようになったのでしょうか。愛国心と言う言葉は危険で野蛮な思想なのか・・それが戦争に負けた結果なのか・・決してそうではないのに。
掃き清められた境内には戦死者の慰霊碑が数多く建立されており、その一つ一つに手を合わせ、今の幸せに感謝を告げて来ました。貴方方の命の贖いの上に今私は幸せに生きています。
参拝日:2015年4月27日