本町通りを抜けて高梁川の方向に向かって歩くと、再び伯備線の線路が見えてきます。この一画に集められたお地蔵さまは、線路を通すために一か所に集められたのでしょうか?大切にされているのが感じられる風景。
高梁市寺町、JR伯備線に面した段丘の上に門を構える「日蓮宗寺院:巨福(こうふく)寺」。
急な石段の上にどっしりと構える山門は、備中松山藩家老宅の門を明治8年(1875)に移築したものだとか。どのような形であれ、本来なら文化財級の建造物がこうして残されているのは有難いことだと思います。
創建は文和4年(1355)。大僧正大覚妙実の開基によるものと伝えられ、元和年間(1617年頃)、備中松山藩主池田長幸によって再興。
安永7年(1778)に再々建立された本堂の奥に祀られるのは「最上稲荷堂」。拝殿・本殿からなっており、本殿脇障子には力強い獅子たちの彫刻が施されています。
本殿の縁より聖域を守護されるのは、木造神狐一対。まるで兎のような長い大きな耳と丸くて太い尾が何とも言えず良いお味を醸しています。
巨福寺を後にして次に向かったのは、高梁市頼久寺町にある臨済宗永源寺派寺院、町名の由来にもなった「天柱山:頼久寺」。
ここは『足利尊氏』が諸国に命じて建立させた安国寺の一つであり「安国頼久禅寺」と呼ばれています。
滋賀県近江の永源寺を創建した『寂室元光(じゃくしつげんこう)』の開山とされます。その後衰退したのを、永正1年(1504)に備中松山城主上野頼久が再興。その子守頼が父の名を加えて安国頼久寺と改称しました。
境内には、童の姿をしたお坊さんと干支が戯れる石像が奉納されています。こういうのを見ると何故か一通り写してみたくなるのはいつもの癖・・と言う事で、「丑(ウシ)」からスタート😄。
「寅(トラ)」
「辰(タツ)」「巳(ミ)」
「午(ウマ)」
「未(ヒツジ)」
「申(サル)」
「酉(トリ)」
「戌(イヌ)」
「亥(イノシシ)」
残りの「子(ネズミ)と卯(ウサギ)」を探していたら、たまたま居合わせた参拝者の方が、「ウサギは来年の奉納ですよ」と教えてくださいました。では「子」は何処❓ 仕方ないので😅「鐘楼」と片隅にひっそりと置かれた童地蔵。
山門屋根:留蓋の飾り瓦は、丸々と太った、まるで仔犬のような獅子一対。かなりの時代を経ているようで、細部に崩れは見えますがとても個性的な顔をしています。
訪問日:2010年8月11日