高梁市内山下に鎮座される「八重籬(やえがき)神社」。御祭神は板倉氏の始祖『板倉伊賀守勝重・板倉周防守重宗』
由緒「寛政五年、松山城主板倉周防守勝政の創建。板倉氏の始祖伊賀守勝重を祀る。神祇道管領長吉田良倶朝臣が「宗源の神宣」を以って八重籬霊社とし、特に大権現の尊号を奉った。由来、備中松山五万石藩領全域を崇敬区とし、その維持は専ら藩財政でまかなわれた。御根小屋(現:岡山県立高梁高等学校)内の馬場に奉安していたが、文政13年(1830)に現在地に改築された。明治十八年二代公重宗を合祀すると共に郷社に、大正六年県社に昇格した。」岡山神社庁HPより
真横を伯備線が通る境内、参拝中にも轟音と共に列車が駆け抜けていきますが、その瞬間がすぎれば、何事もなかったかのような静謐な境内。
社号標と一の鳥居。鳥居左右、玉垣の前に文政13年(1832)9月奉納の石灯籠。
石段の先に随神門。内には長い時を過ごされたと思われる随神様が、それぞれの位置より神域を守護されておられます。
拝殿前左右より神域を守護される狛犬さん一対。台座を設けず低い位置に置かれているため、写真撮影の後は腰が・・・😣
拝殿前左右より神域を守護されるのは、台座に「江戸外様御家中」奉納と刻まれた、寛政7年(1795)建立の団扇尾を持つ狛犬さん一対。220年以上の長い時間、藩祖が祀られる宮を見守っています。
「藩祖:板倉勝静が御根小屋の一隅に建てた「臥牛亭」。農耕の神を祀って五穀豊穣を祈り、時には自ら畑を耕して農民の労苦を偲び、眼下に広がる城下の町並みを眺めて、領民に思いを馳せたと伝えられている。廃城令により、旧藩時代の建造物は全て撤去されるなか、山田方谷の計らいで蓮華寺境内に移築。後年、崖崩れにより亭が傾いた為、八重籬神社境内に再度移築され、今日に至る。」現地碑文より
恒例の随神門留め蓋の飾り瓦、阿吽ともに画像の方向が同じなので間違われそうですが、吽形は玉に結ばれた紐を咥えています。
御神紋は「板倉巴」、または「九曜巴」とも呼ばれます。
参拝日:2010年8月11日