藤井寺市道明寺にある真言宗御室派寺院:尼寺「蓮土山・道明寺(どうみょうじ)」。国宝『十一面観音菩薩』を本尊とします。
寺伝に「当寺の開創は、土師八嶋が氏神である天穂日命を祀り、聖徳太子が開基となり、八嶋が協力して自身の屋敷を提供して、東西一二〇歩、南北二二〇歩の地に、南大門、三門、五重塔、金堂、講堂等の伽藍を建立し、土師氏が檀越となった(現天満宮南側の平地)。のちに白山権現、稲荷大明神二社を造営した。時代が下り、土師氏の子孫である菅原是善の妹である覚寿尼が入寺し、甥の菅丞相(菅原道真)の帰依深く、しばしば当寺を訪れた。菅丞相三十六歳の時に十一面観音を彫刻し、四十歳の時には五部大乗経を書写した。延喜三年、菅丞相が太宰府で薨去。その後、講堂の後方に神祠を建て、自刻の像を安置し御神体とした。そして土師寺を道明寺と改めた。同時に、土師神社内に天満宮を創建。この後土師神社は天満宮が中心となっていった。」公式HPより
明治6年(1873)9月、道明寺は天満宮と分離し、道を隔てた西隣の現在地に移転。楼門は、神仏分離令以前の旧境内にあった鐘楼を移築・改築したものです。
秘仏「十一面観音立像」を擁する大正8年(1919)再建の本堂。延喜元年(901)、道真公は大宰府に左遷される途中に寺に立ち寄り、『覚寿尼公』との別れを惜しんで歌を詠みました。
【 鳴けばこそ 別れも憂けれ 鶏の音の なからん里の 暁もかな 】
本堂の前に置かれた香炉台。屋根を支える4本の柱には木彫りの獅子がしがみついています。こうした細かい部分の装飾を見られるのも由緒ある寺院ならでは。狛犬とはまた一味違った、何とも愛着のわく獅子たちです。
獅子と言えば、屋根の上にも丸っとした可愛いお尻の獅子たちが、参拝される善男善女を見守っています。
本堂横で参拝者を迎える「十一面観音石像」。後方に聳えるのは、道真公:写経の経典を収めた経塚より芽吹いたと云う「木槵樹(もくげんじゅ)」。
境内入ってすぐの左手、英文の石碑が添えられた「第一次世界大戦犠牲者供養塔」は、藤沢薬品の創業者『藤沢友吉』が平和への願いを込めて大正7年(1948)に建立。石碑の下には、激戦地となった「フランス:ヴェルダンの土」が埋められているそうです。
社務所に人の気配はなくウロウロと探して中門に。チャイムが有ったので思い切って押すと、本坊までお出で下さいとご返事いただき、無事、御朱印を戴く事ができました。
待っている間にとても気になっていた「道明寺糒(ほしい)」の古い看板。その昔、菅原道真公の伯母上が、築紫に左遷された道真公の無事を祈ってお供へされたご飯のお下がりを望む人に分かち与へた所、これをいただくと病気が治ると評判になり、希望者が多くなった事から、あらかじめ乾燥、貯蔵するようになったのが糒(ほしい)のはじまりと言われています。
以前は外に展示していたそうですが、装飾部分が盗難にあった為、室内に移したとか。珍しいものに心惹かれる気持ちは分かりますが、目に、記憶に焼き付けて、もしくは画像に残して楽しむだけで充分じゃないですか?・・・盗んだ人、今もそれは手元にありますか?!
【 国宝を 守る御寺の 虫しきり 】 高浜虚子の孫・『坊城中子』作。
【 大安で 吉日梅の 道明寺 】 虚子の弟子『伊藤柏翠』作。
東高野街道に面して建つ「東門」
道明寺天満宮の石段から南へ80mほど、玉垣の内に五重塔の礎石群が保存されています。「古代道明寺五重塔礎石」の碑は、昭和40年(1965)10月に金婚式の記念として建立。
参拝2015年10月10日(五重塔礎石碑のみ2008年4月26日)
「大師堂」「護摩堂」等々。まだまだ見るべき場所がたくさん残っているのに、又しても聞こえてきた威勢の良い掛け声(^^;) 足が・・足が勝手に回れ右(笑)
癖になりそうな、いなせでカッコいい男衆たちの姿です(⌒∇⌒)