車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

日根(ひね)神社 in 大阪府泉佐野市日根野

2023年02月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・大阪府

泉佐野市日根野に鎮座される「日根(ひね)神社」。和泉国日根郡の式内社で、和泉国五宮(和泉国の一之宮から五之宮の総称)の一つ。古くは「大井関明神」「大井堰神社」とも呼ばれました。

御祭神は『鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)・玉依姫尊(たまよりひめのみこと)』『五瀬命(いつせのみこと)・稲飯命(いないのみこと)・三毛入野命(みけいりののみこと)・神日本磐余彦尊(かむやまといはれびこのみこと)』を配祀。  駐車場の関係で朱塗りの二の鳥居からの参拝です。

「紀元前663年、日本の建国を決意した『神日本磐余彦尊(神武天皇)』は、長兄と共に日向を発し、河内から大和へ入ろうとしたが『長髄彦』の抵抗に遭い撤退。尊は「日の御子である自分が太陽に向かって戦うのが良くないに違いない。」と悟り、日を背に受けて難波津から舟で嘉祥寺に着き、そこから弓を引くと長滝村(現在の御旅所)に落ちた。そこから再び弓を引くと現在の日根神社の場所に落ちたので、その広野に根城を構え、日の国を治める『天照大神』と、根の国を治める『素戔嗚尊』に戦勝を祈願した。この地は、太陽の出る根の意から日根と云い、日の神と根の神をお祀りした野原から日根の野、日根野と呼ばれるようになった。長髄彦を平らげた尊は、樫原に宮を定めて初代天皇(神武天皇)となられた。仲哀天皇2年(192)、白翁が大鳥に姿を変え日根野の空を数日にわたり飛び続け「我は鸕鷀草葺不合尊である。ここに祠を建てなさい。」と告げ、次いで女神が現れ「我は玉依姫命である。ここに共に祀りなさい。」と告げた。そこで祠を作り、2神をお祀りしたのが始まりであるとされる。」公式HPより

二の鳥居から続く300メートルほどの参道、三の鳥居、四の鳥居の先にはいくつもの摂社が祀られています。石段の先に四脚門の神門があり、その先が本殿が鎮座される境内となります。

正面には慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって再建された、平入入母屋造りの拝殿。公式HPには、冬至の日の出に日を背に受けるようにして、この拝殿の奥に鎮座される本殿の真上から太陽が昇る様の画像が掲載されています。

拝殿内にて神域を守護されるのは木製の神殿狛犬さん一対。光線の加減で阿形さんはものすご~~く怖い顔に・・(^^;) 吽形さんはいかにも貴族然とした姿に写っており、この違いはかなり驚愕。人が心血注いで生み出したものには魂が宿る・・なんだかわかるような気がする。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和天皇御在位五拾年を記念して奉納されたブロンズ製の狛犬さん一対。神殿狛犬さんと似たタイプですが、こちらの阿形さんは底抜けの笑顔(笑)

拝殿の後方に鎮座されるのは日本有数の春日造りとされる朱塗りの本殿。天正年間(1573~1593)の兵火によって焼失した後、『豊臣秀頼』によって再建されたと伝えられており、府指定有形文化財となっています。

桃山時代の特長を色濃く残す入母屋造の本殿、各所に施された彫刻をこんなに間近に堪能できるなんて、もう嬉しすぎて言葉もありません(⌒∇⌒)

楽を奏でる二人の天女

脇障子には「長寿を象徴する松の木と仙人」「獅子の子落とし」

貫の左右には阿吽の龍・・デジカメがもう少し上等で、私にもっと才能が有れば、より繊細にこの素晴らしさが伝えられた筈なのですが(^^;)

本殿左側に鎮座されているのは、明治時代に合祀された「新道宮」。御祭神は『菅原道真公』。

鳥居前左右より神域を守護されるのは、穏やかな笑みを浮かべた吽形さんと、いかつい顔の阿形さん。多分この一対は、阿吽それぞれ別の石工さんに生み出されたものと思われます。特に吽形さんは京都市内の神社本殿近くで何度かお見掛けしました。

社殿右側に鎮座される境内社。「十五社」かなとも思ったのですが、社名・祭神とも確認できていません。

絵馬には、毎年、5月の日根神社例祭「まくら祭」の様子が描かれています。5メートルほどもある竹の竿に色とりどりの飾り枕を付けた枕幟(まくらのぼり)を背負い、五社音頭を唄いながら長滝の御旅所まで渡御するという・・・

実は日根神社は日本唯一!“枕”の神社。その昔、子宝に恵まれない村の若嫁が子授けを願って奉納した枕を、お祭りの幟りにくくりつけ渡御したのがはじまりだそうで、枕から不眠に悩む方へのお守りへと繋がったそうです。

参拝日:2015年10月8日

明日は参道に鎮座される摂社群の紹介です。

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御祭神一口メモ

『五瀬命(いつせのみこと)』、神武天皇の長兄。神武東征の途次、長髄彦の放った矢に当たり紀国竈山で亡くなる。

『稲飯命(いないのみこと)』、神武天皇の次兄。神武東征の途次、熊野灘で暴風にあい、海神の母を持つ我らに何故波濤を立てるのかと嘆き、剣を抜いて海に身を投じ「鋤持(さいもち)の神(刀剣を持つ神)」となる。

『三毛入野命(みけいりののみこと)』、神武天皇の三兄。次兄と同じく嘆き、波頭をふんで常世の国へいく。

コメント (2)
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