藤井寺市藤井寺、1994年に考古学・歴史系博物館施設をメインとする生涯学習センターとして開館した「アイセルシュラホール」。
館名の「アイセル」とは、Activity、Information、Consultation、Exchange、Learningの頭文字を並べたもので、「シュラ」は三ツ塚古墳で出土した古墳時代の巨石運搬用ソリ「修羅」を意味します。
歴史展示室には「倭の五王と巨大古墳」をテーマとした古墳築造技術の紹介や、西墓山古墳、津堂城山古墳の出土品等が展示されており、「ふじいてらの大昔」をテーマにした「藤井寺の古代史」が紹介されています。
岡古墳より出土した日本最大級の「船型埴輪」。「アイセルシュラホール」の外観はこの岡古墳から出土した「舟形埴輪」と、三ツ塚から出土した「修羅」をモチーフとしてデザインされました。
こちらは、津堂城山古墳より出土した「水鳥形埴輪」三点。いずれも国の重要文化財に指定されているものです。
ホール展示物、もう一つの目玉は「陵石碑」と呼ばれる「井真成墓誌 蓋部(複製)」。『井 真成(いの まなり)』。文武天皇3年(699)~天平6年(734)の人とされ、日本名は不明。唐代の日本人の留学生か官吏であったと推定。中国西安市内の工事現場で彼の墓誌(墓)が発見されました。
蓋の部分に刻まれた文字の拓本。
墓誌 身部 には、日本人留学生の井真成が開元二十四年(736)に36歳で亡くなり、同年2月4日に「万年県」(長安南郊)に埋葬。「尚衣奉御(しょういほうぎょ)」の官職を追贈された旨が記されています。これは考古学的に、中国で発見された最初の日本人の墓誌であり、他国も含めた唐国への留学生の墓誌の唯一の発見例とされています。また、現存の石刻資料のなかで日本の国号を「日本」と記述した最古の例です。
藤井寺市内のいずれかの地の出身とされる『井 真成』。その身は遠く異国の土になりましたが、彼の心は祖国に帰り、こうして再び脚光を浴びる事になりました。今は藤井寺市のキャラクターとして、市内各所のPRに勤しんでいます。
藤井寺市・羽曳野市にまたがる「古市古墳群」には、わが国の古墳文化を代表する、巨大な前方後円墳7基を含む総数130基以上の古墳が築かれています。藤井寺市のそこかしこに見られる天皇御陵の碑。
アイセルシュラホールの東に隣接する「恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)」。全国では第16位の規模の古墳で、5世紀末葉頃の築造と推定。
宮内庁により『第十四代:仲哀天皇』の陵に治定。さて『仲哀天皇』とはどのような方なのか? まずは『日本武尊』の第二子で、三韓征伐を行った『神功皇后』の夫で、さらに八幡神として有名な『応神天皇』の父君で・・・一応、どのような人物かを紹介している筈なのですが、本人以外の名前の方が有名すぎて・・(^^;)
ともあれ、仲哀天皇陵を含む古市古墳群は、堺市の百舌鳥古墳群とともに2019年7月6日、世界文化遺産に登録されました。
訪問日:2015年10月10日