美祢市(みねし)は山口県のほぼ中心、四方を山で囲まれた山口県内で唯一海に面していない市です。2008年3月21日 、旧美祢市・秋芳町・美東町が合併し、改めて美祢市が発足しました。山口市、下関市、山陽小野田市、宇部市、中国山地を挟んで萩市、長門市に隣接。「市の木:カシ」「市の花:桜」を制定。
市域からはさまざまな化石が産出することで知られており、土地は石灰質である所が多く、国道435号が通過する大嶺地区や豊田前地区では道路沿いに石灰層や石炭層を見ることが出来ます。キャッチフレーズは「市民が夢・希望・誇りをもって暮らす交流拠点都市 美祢市」
マンホールには市域から出土する「アンモナイトの化石」がデザインされています。
2009年4月4日制定の市章は「美祢市の「M」をモチーフに、雄大なカルスト台地、緑あふれ稔りある大地、やすらぎと活力ある美祢市の姿をイメージ、白地は輝きと風(交流と調和)、グリーンは発展・調和・健康を表現しています。」公式HPより
美祢市観光マップに登場するアンモナイトの女の子。市の花:桜の髪飾りを付けていますが・・名前は不明(笑)
------------------------00----------------------
旧美祢市(みねし)は山口県のほぼ中央に位置した町です。秋芳町、萩市、山口市、長門市、下関市に隣接。市名は「山(峰)に囲まれていることから、峰が美祢に転訛した」が由来とされています。日本海と瀬戸内海とのおおよそ中間、美祢市西部から下関市豊田町にかけて大嶺炭田を有しており、明治維新後に開発された大嶺炭田の無煙炭、石灰石の産出などで工業都市として発展してきました。特に大嶺炭鉱の無煙炭は、戦前の軍艦などの燃料に重宝され、また石灰石は全国有数の国内シェアを誇っていました。
説明に該当する画像が無いので、「道の駅:於福」のマスコット『福をむカエルケロくん』と早朝のツーショット(-_-;)
明治22年(1889)、町村制の施行により美祢郡大嶺村・伊佐村・於福村・東厚保村・西厚保村、豊浦郡豊田前村が発足。
1924年、伊佐村が町制を施行、美祢郡伊佐町となる。
1939年、大嶺村が町制を施行、美祢郡大嶺町となる。
1953年、豊田前村が町制を施行、豊浦郡豊田前町となる。
1954年、美祢郡大嶺町・伊佐町・於福村・東厚保村・西厚保村・豊田前町が合併、(旧)美祢市が発足。
農業集落排水のマンホールには「かせきとはなのまち」の文字と共に、中央にアンモナイトの化石。周囲に「市の花:桜」がデザインされています。
1954年9月29日制定の市章は「美祢市の「美」を図案化したもの」
撮影日:2012年11月14日&2017年12月1日
夕暮れ時のマンホール撮影は、後で絶対に「あ~あ😩」となるのです。それが分かっていても目にするとデジカメを向けてしまう。で、結局その時の画像だけが唯一のご当地マンホールになるという事もしばしば・・「あ~あ😩」