今日は神楽団のオリジナルっぽい神楽の紹介。まずは2013年7月7日、「安芸高田神楽特別公演」、「吉田神楽団(安芸高田市)」による【元就公】。
この演目は、天文9年から天文10年まで、安芸国吉田の吉田郡山城周辺で行われた『毛利元就』と『尼子晴久』の、郡山城の戦いをベースとした「吉田神楽団」の創作神楽です。
おどろどろしい煙幕の中に登場したのは、『尼子晴久』『尼子久幸』。どこからどう見ても悪役です(^^;)
悪役なのですが、白ガッソの尼子さんが、いわゆるイケメンなので、個人的な趣味優先で・・・
率直に言って、様になりすぎてカッコ良くて、思わず尼子さん側に肩入れしてしまう自分が怖い(笑)
続いて登場したのは『毛利元就』と『毛利元春』。元就の妻『みい』の三人。「清神社」で戦勝祈願をする三人。毛利元春はこの時が初陣と言う事もあり、決死の覚悟で戦に臨みます。
もしかしたら今生の別れなるかもしれない妻と夫、母と子・・それでも戦の世の習い、笑って見送らねばなりません。
そうして迎えた決戦の時、「清神社」の威徳に守られた毛利親子と『尼子』群の戦い。けれどどうしても拭えない違和感は・・・戦国の世の敵・味方が、神楽では悪と神になる。とは言え、この吉田神楽団の所属地が『毛利家』の父祖の地である以上、これは止むを得ない描き方なんだろうと思います。何しろタイトルが【元就公】ですから(⌒∇⌒)
ともあれ(^^;)、見事『尼子久幸』を討ち取った『毛利晴久』、立派に初陣を飾る事が出来ました。
『毛利』と言えば「三矢の教え」が有名ですが、もう一つ「百万一心」も良く知られています。「百」の字の一画を省いて「一日」。「万」の字を書き崩して「一力」。これを縦書きで「一日一力一心」と読ませ、「日を同じうにし、力を同じうにし、心を同じうにする」と説いています。
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2013年12月7日「神楽温泉湯治村:本郷太刀納め神楽」、「上河内神楽団(安芸高田市)」による【曽我兄弟】。
時は建久4年、『源頼朝』が行った富士の「巻狩(まきがり)」の際に、『曾我祐成・時致』兄弟が、父の仇『工藤祐経』を討った事件で、「赤穂義士・伊賀越えの仇討ち」と並ぶ仇討ち話として有名です。
下手に座るのが『河津祐泰』、中央にガッソをつけた『工藤祐経』と『源頼朝』、どちらが敵役なのか一目でわかる設定となっています(^^;)
『源頼朝』に取り入る為、『工藤祐経』のだまし討ちにあう『河津祐泰』。この時の祐経の台詞がこのうえなく憎憎しげなのですが、実は敵役の二人が・・・めっさ!男前!”(笑)
父の死から18年後、祐泰の妻『満江御前』は、『一萬丸・箱王丸』を連れて『曾我祐信』と再婚。幼かった二人の子供は立派に成長し、『曾我十郎祐成・曾我五郎時致』と名乗ります。
父の仇討ちを誓う兄弟。その決心を覆す事が出来ないと知った母は二人の武勇を祈り、涙を呑んで二人を送り出します。
軽快な囃子と共に登場する工藤祐経と、郎党の『大見小藤太』。頼朝の信頼を得、富士の裾野の巻狩の大役も無事に果たし終えた事に気をよくし、今や得意の絶頂。
でもって、やっぱりこのお二方”めっさ!男前!”(笑)ガッソ姿が更に男前度をアップしてます。ちなみにお二方が舞台のすそから登場したときには、観客席のあちこちから「黄色い声」が飛んでいました(笑)
夜陰に乗じて、工藤祐経の館に忍び込む『曾我兄弟』ですが、ここで見張りの男に見つかってしまいます。ガッソ頭なのでてっきり敵方かと思いきや、自分は河津祐泰のかっての旧友だと名乗り、二人を祐経の寝所に案内してくれたのです。
この時の逸話は「富士の裾野の屏風絵」となって後世に伝えられ、後に『浅野内匠頭』を引きとどめた『梶川与惣兵衛』への、痛烈な皮肉として登場しますが、それはまた別のお話(笑)
ここからは『工藤祐経』と『曾我兄弟』、それに先ほど兄弟を助けた人物が加わっての戦い。 華麗な舞になびく「ガッソ」(笑)。心の中では、頑張れ”めっさ!男前~!”ヘ(__ヘ)☆\(^^;)
けれど、いくら”めっさ!男前!”でも、神楽の中では敵方、遂に切り殺されてしまいました。 できればなのですが・・・今度「上河内神楽団」の演目に出会える時は、是非とも!神方でm(__)m
見事に親の仇を討った曽我兄弟でしたが、兄の十郎祐成は仁田忠常に討たれ、弟の五郎時致は捕縛されて鎌倉へ護送される途中、鷹ヶ岡で首を刎ねられました。富士市久沢にある「曽我寺」には曽我兄弟の墓があり、江戸時代から東海道を往来する人々が寄り道をして参詣したといわれています。
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2019年4月21日「因原交流神楽大会」、「谷住郷神楽社中(桜江町)」による【弁慶】。
薙刀を手に、舞台に登場した【弁慶】。決して深いとは言えない神楽歴の私たちですが、この時の弁慶の姿は舞台を圧倒させる迫力で、思わず身を乗り出したくなる程。
静かで荘厳な弁慶の舞が終わると、緋色の被り物を身にまとった少年が登場。ここは五条の橋の上。まるで燕のように欄干の上を飛び跳ねて弁慶を翻弄します。
まるで女子のような子童に翻弄される弁慶。必死の長刀もひらりひらりと交わされ、遂に自らの負けを認めて降参します。
女子と見まがうほど美しい少年こそ、鎌倉幕府の初代将軍『源頼朝』の異母弟『源 義経』。稚児名『遮那王』、幼名を『牛若丸』と言います。
この出会の後、弁慶は、終生命を懸けて牛若丸(のちの源義経)に忠誠を尽くす事を誓います。
弁慶は元、比叡山の僧で武術を好み、五条の大橋で義経と出会って以来、郎党として彼に最後まで仕えました。兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちるのに同行。山伏に姿を変えた一行は加賀国安宅の関で、富樫介に見咎められますが、偽の勧進帳を読み上げ、さらには義経を打ち据える事までやってのけたのです。富樫は弁慶の嘘を見破りながらも、主を思う必死の心根に打たれ、あえて義経一行の通行を許可しました。この話もまた「赤穂浪士:大石東くだり」の「白紙の御許書」で登場します。
2022年 小正月:一月十五日
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