車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

阿智(あち)神社 in 岡山県倉敷市本町

2021年09月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市本町に鎮座される「阿智(あち)神社」。御祭神は、海上交通の守護とされる・宗像三女神『多紀理毘売(たぎりひめ)命・多岐都比売(たぎつひめ)命・市杵嶋比売(いちきしまひめ)命』

由緒「倉敷の古名は「阿知」であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。社記には神功皇后三韓征伐の途中、暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降ったため、応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。明治の神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号。境内には蓬莱思想に基づいた日本最古の鶴亀様式の古代庭園とも伝えられる天津磐境の他、盤座・磐境が点在する。」岡山神社庁HPより抜粋

時間に急かされての参拝は、兎にも角にもご亭主殿の狛犬さん優先😅。結果、神社紹介としては非常にお粗末なものになりました。が、今更愚痴って見ても詮無き事。まずは東坂の石段、下より、八十八段の米寿段、六十一段の還暦段、三十三段の厄除段。随身門入り口手前に建立された〆柱の脇より神域を守護されるのは、八手の様に開いた尾が印象的な文化十四年(1817)丁丑八月建立の浪花タイプ狛犬さん一対。剥落が痛々しいのですが、阿吽共にとても優しい表情です。

狛犬さんに励まされて随神門口に至り、そこから内側の七段、拝殿の五段、更に荒神社の三段で母なる神の身の内、生命力の根源に達すると云われています。

荒神社の鳥居前より神域を守護されるのは天保11年(1840)建立の玉乗り狛犬さん一対。玉乗りと言うと尾道・広島型が有名ですが、こちらの玉乗りさんはそのいずれとも異なった雰囲気。

「境内社:菅原神社」。御祭神は『菅原道真公』。相殿には明治43年(1910)に近郷より合祀された『日本武尊・大物主命・猿田彦神』が祀られます。

鳥居の内、社殿前より神域を守護されているのは天保9年(1838)4月建之の玉乗りさん一対。尾の形状、玉にもたれかかる姿、先の狛犬さんとよく似ているように感じるのは、もしかして同じ石工さんの作品かも😄

「倉敷護国神社」、旧倉敷地区3,416柱の英霊の御霊が祀られます。

鳥居の内、社殿玉垣の左右より神域を守護されるのは弘化5年(1848)建之の出雲型狛犬さん一対。阿吽共に出雲系としては驚くほど、穏やかで優しい顔立ちをしておられます。

「城山稲荷社」。御祭神は『倉稲魂うかのみたまのみこと)』。現在のアイビースクエアの位置に、かつて城山と呼ばれた丘状地があり、そこにお祀りされていた城山稲荷神社を遷座。

本殿西側にある鶴亀の「磐境(いわさか)」は古代庭園とも呼ばれており、古代神々を天上よりお招きし、天津磐境(あまついわさか)として祭祀を行った場所と伝えられています。

絵馬殿から見る倉敷の市街。昔はもっと近くに海があり、沢山の船が多くの人や荷物を載せて行きかっていたのでしょう。そうした人々にとっては、海の守り神であり「道主貴(みちぬしのむち)」『宗像三女神』を祀る社の存在はとても力強く思えた事でしょう。

県天然記念物の指定を受けた「阿知の藤」は、「あけぼの藤」という品種で淡いピンク色の花房をつけます。倉敷市の市花として様々なキャラクターを生み、またマンホールのデザインにも採用されました。

参拝日:2013年7月26日


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