八街市(やちまたし)は千葉県北部の中央に位置する市です。千葉市、佐倉市、富里市、東金市、山武市、印旛郡:酒々井町に隣接。標高14~70mの下総台地の上にあり、市の面積の半数以上が畑や田とされ、西瓜・里芋・人参・生姜など県内でトップクラスの生産量を誇り、特に「落花生」の生産量は日本一を誇ります。地名は、明治新政府の政策により、江戸幕府の放牧地であった小金・佐倉両牧の開墾順序に新しい地名がふられ、八番目の入植地として八街と命名された事に由来します。「市の木:金木犀」「市の花:ヒマワリ」を制定。
キャッチフレーズは「ひと・まち・みどりが輝く ヒューマンフィールドやちまた」
明治22年(1889)、町村制の施行により、印旛郡八街村・川上村が発足。
1919年、八街村が町制を施行、印旛郡八街町(初代八街町)が発足。
1954年、印旛郡川上村と合併、改めて印旛郡八街町が発足。
1956年、山武郡山武町沖渡の一部を編入。
1992年、八街町が市制を施行、八街市が発足しました。
マンホールには市のキャラクター「ピーちゃん&ナッちゃん」と「市の木:キンモクセイ」が描かれています。
昭和39年11月1日制定の市章は「八街の「八」を上下に組み合わせ、中央にダイヤの形を配して、力強い発展と融和の市民理想を象徴しています。」公式HPより
上水道関連の蓋は「仕切弁」「排水弁」。
八街市のイメージキャラクター『ピーちゃん&ナッちゃん』。特産品の落花生がモチーフです。黄色の帽子をかぶっている『ピーちゃん』と赤い水玉のリボンをしている『ナッちゃん』は、八街の畑のたくさんの落花生の中から出会い、恋に落ちました。
八街に落花生が導入されたのは明治29年頃、文違区、住野区で栽培されたのに始まると言います。その後、大正初期には特産地となり、昭和24年には日本一の生産を誇るまでになりました。現在、収穫量は全国1位を誇り、「日本一の八街の落花生ブランド」として称賛されています。 八街駅前に建立されたとてもリアルな巨大「落花生」。落花生賛が添えられています。【いつ知らず 葉は茂り 花咲きて 人知れず 土に稔りぬ】
日本一の味と生産量を誇る八街の「落花生」。「落花生」は、咲いた「花」がしぼんで地中に「落」ち、実が「生」まれます。秋になると、地中で育った豆を掘りかえし、畑に円筒状に積み上げて、ひと月ほど乾燥させます。その光景は落花生の野積(ぼっち)と呼ばれ、人々に親しまれています。毎年義姉からお裾分けで頂く「八街の落花生」。おかげ様で隣国のピーナツとは縁のない豆生活をおくっています😊
撮影日:2014年5月19日&2019年3月18日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます