旧香取郡栗源町(くりもとまち)は千葉県北東部に位置した町です。佐原市、香取郡大栄町、小見川町、山田町、多古町に隣接。成田空港から車で20分ほどのところに位置する人口5千人程の小さな町ですが、大正14年に設立された「栗山電灯株式会社」によって、他地域に先駆けて 大正15年4月には大部分の家に電灯が取り行けられました。特産品として、サツマイモの品種である「ベニコマチ」が有名で、毎年開催される栗源ふるさとまつりでは日本一の焼き芋広場が大好評です。「町の木:サツキ」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により香取郡栗源村が発足。
大正13年(1924)、栗源村が町制を施行、香取郡栗源町となる。
2006年、佐原市、香取郡小見川町、山田町と合併、香取市となりました。
独自のマンホールはありませんが、唯一、町章のついた消火栓を見つけました。
昭和47年1月1日制定の町章は「本町の地形を図形化し、町勢の発展と輝かしい未来に向かって羽ばたく姿を表している。」合併協議会資料より
くりもと紅小町の郷PRキャラクター『くりちゃん』。ベニコマチと栗をイメージして、町制施行70周年記念事業の一環として誕生しました。
ご当地マンホールと呼ぶにはあまりにも中身の無い栗源町。と言っても無い物は無い。「道の駅くりもと」付近をぶらついていたら「かくれ卵塔(らんとう)」の案内を発見。
僧侶の墓塔「無縫塔(むほうとう)」を、「卵塔」と呼ぶ事も有ると言いますが、それかな? 史跡と言うからには「歴史・学術上価値の高いもの」の筈、では一体誰のものだろうか?
興味半分で来てみましたが、古い石碑が並べられているだけ・・まぁ史跡だし・・・・って、意味不明ですね😅
中央に一つ、細い石を幾つも針金で束ねて、卵のようにしたしたものが有りますが、あれのことか? 傍らのやたら長い説明を読むと、確かに「史跡・かくれ卵塔」で間違いないようです。
要約すると【日蓮宗の宗派のひとつ「不受不施派」のお坊さん『日講』は、幕政批判を展開した罪で流罪になってしまいます。しかし『日講』はその地で「一萬部読経」なる行を成就。その記念に日講の弟子たちの手によって石塔群が建てられました。だがその石塔群は当時の為政者の知る事となり、石塔は打ち砕かれ土中に埋めらました。明治になり、信徒らによって掘り出され組み合わされたのが、今に見る「かくれ卵塔」です。】
撮影日:2014年5月17日
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「不受不施(ふじゅふせ)」、法華経を信仰しない者から施しを受けない、施しをしない。
「一萬部読経」、法華経の題目を一萬遍唱える唱題修行。
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