和倉、山代、片山津と並ぶ石川県下有数の温泉で、加賀温泉郷の一角を占める「山中(やまなか)温泉」。文字通り「山の中」にあり、大聖寺川の渓谷一帯は「鶴仙渓」として知られています。
「山中温泉は、今から1300年前に行基が発見したと伝えられています。行基は丸太に薬師仏を刻んで祠を造り、温泉のお守りとしました。多くの人が山中を訪ね、その湯で病と疲れを癒したとされます。時は過ぎ平安末期、能登の地頭・長谷部信連は一羽の白鷺が傷めた足を山陰の小さな流れで癒しているのを見つけます。その場所を掘ると5寸ばかりの薬師如来像が現れ、美しい温泉が湧き出しました。信連はここに12件の湯宿を開き、それが山中温泉旅館の始まりと語り継がれています。」公式HPより
元禄2年7月27日に山中温泉を訪れた『松尾芭蕉』は、山中の湯を「有馬・草津」と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え【 山中や 菊はたおらぬ 湯の匂 】と詠んでいます。
温泉街の中心にある足湯「笠の露」は、芭蕉が曽良との別れを惜しんで読んだ【 今日よりや 書付け消さん 笠の露 】からの命名。句碑は見つけられず・・
足湯の近くにある「からくり時計」説明によると加賀市との合併を記念して作られたと有り、上部のパネル三面と本体中央部の下見板は山中塗の仕上げになっているとか。一時間ごとに「こいこい音頭」が流れ、お囃子に合わせて歌い踊るそうですが・・何と言うか終わったばかりデシタ(^^;)
仕方ないので、町歩きで見つけた「こいこい音頭」を踊るお子たちのブロンズ像を(笑)
山中温泉の観光拠点でもある「山中座」は、山中漆器の粋を集めた格調高い造りの建物。豪華な蒔絵の格天井を始め、館内の内装はのべ1500名からの山中漆器職人によって造られたそうで・・とにかく蒔絵の格天井が凄い!。
「山中塗」が施された「山中漆器」。当初は湯治客の土産物が主でしたが、1981年に会津塗を抜いて全国一の生産量となりました。一目見て気に入った国産ヒバ材の山中塗りお箸。かなりお高かったけれど(笑)軽くて使いやすくてお気に入りの一品でした。
そういえば山中温泉のキャラクターで旅館の若旦那『おわんさん』。単に漆器に絡めての命名かと思ったら、昔から旅館の若旦那のことを「おあんさん」と呼ぶとか。で、「おわん」と「おあん」を引っ掛け、ついでに「山中漆器」のPRも兼ねました。
さて、今回は仲良しのJさんも一緒。楽しみにしていた温泉街の町歩きは、毎年9月の終盤に開催される「こいこい祭り」関連から。町人、芸妓衆、接待衆に浴客も加わって、唄と踊りの一大絵巻が展開されるそうで、巨大な「お椀みこし」もその一つ。公式サイトで写真を見ましたが、本当に「朱塗りの大きなお椀」が神輿台に鎮座してます。
迫力満点の「大獅子みこし」。もちろん安全上の点からこんな風にお子様が乗る事はありませんが、でも想像するだけでワクワクしそうなお祭りのようです。
元禄の頃から唄われ始め、日本三大民謡のひとつと数えられる「山中節」。加賀の北前船の船頭が、松前追分や江差追分をお湯に浸かって口ずさむ。それを聞いた湯女が山中なまりで真似たのが「山中節」の始まりである事から「山中節発祥の地」とされています。
町歩きの途次に見かけた「焼け残った警鐘」。昭和6年に起こった山中温泉の大火で奇跡的に焼け残ったとかで、火の用心の大切さを伝えるべくモニュメントとして残されています。
街歩きをしていると、思わず足を止めたくなる素敵な佇まいの建物に出会う事があります。特に歴史的な云々が無くても「ああ良いな」と思えれば、それが私たちにとっての名所。例えば上げ下げ窓の建物(片岡鶴太郎工芸館)
からくり時計の塔屋を模した郵便局。
どこを切り取っても懐かしい思い出が一杯の山中温泉。明日は山中温泉鶴仙渓に架かる素敵な橋と句碑などを・・(*´꒳`*ノノ゙
訪問日:2015年10月22日
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