旧中島郡平和町(へいわちょう)は愛知県西部、東海地方に位置した町です。町域には、清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の拠点であった『織田信定』の居城「勝幡城(しょばたじょう)」があったと言われていますが、今は城之内に「勝幡城址」碑が残るのみ。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。
平和町支所の玄関前に建立されていた「親子三代像」は町制35周年を記念して地元住民の2名が連名で寄贈。「この親子三代像には町民の皆さんの健康と明るく温かい家庭が営まれ未来へ向って町が発展するよう願いが込められています」
平和支所から日光川、須ヶ谷川を桜で繋ぐ道は「桜ネックレス」と呼ばれ、桜の名所として市民の憩いの場となっています。
明治22年(1889)、中島郡六輪(ろくわ)村・左右川(そうがわ)村・三宅村・井長谷村が発足。
1906年、中島郡六輪村、左右川村、三宅村三宅&東城地区、井長谷村須ヶ谷地区が合併、中島郡平和村が発足。
1954年、平和村が町制を施行、中島郡平和町となります。
2005年、中島郡祖父江町とともに稲沢市へ編入、稲沢市平和町となりました。
マンホールには、「日光川・須ヶ谷川」に「桜の花」、「HEIWA Jyapan」と描かれています。
北市場本町に鎮座される「立部神社」の祭礼「こがし祭り」で使われる山車がデザインされたマンホール。山車の高さは高さ4メートル、その姿は実に壮大な眺めと言われています。山車の右には「町の木:松」「町の花:菊」が描かれています。
町章を中心に「町の木:松」と「町の花:菊」、「日光川の桜」。それぞれの円の間に「ミツバ」、「ネギ」、「トマト」が描かれています。
昭和44年2月12日制定の町章は「「平」の頭文字と「和」を表す円形を組み合わせたものです。」合併協議会資料より
12時部分に微妙な違いが・・・
「農水 人孔」と書かれたマンホール。
「稲中水」と書かれた量水器。稲沢市水道事業所の略称と思われます。
平和町地区のマンホール探しの途次に偶然お見かけした地蔵堂。
向拝の龍の彫刻
台座部の獅子と牡丹
もしかしたらどこかにお名前が有ったのかもしれませんが、画像にはらしきものは残されていません。小規模ながらきちんと作りこまれたお堂だけに、勿体なかったと悔やまれます。
撮影日:2011年4月25日&2017年3月29日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます