車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 愛媛県旧八幡浜市・旧保内町(八幡浜市)

2020年12月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・愛媛県

旧八幡浜市(やわたはまし)は、愛媛県西端にある佐田岬半島の付け根に位置した町です。西予市、大洲市、西宇和郡保内町に、また海上を隔てて伊方町に隣接。八幡浜の地名は、八幡大神がこの地の浜に立たせられたことによると伝えられています。町域は中心部を流れる千丈川によるデルタ地帯を土台とし、すでに天正年間(1573~1592)には埋立工事が行われたと伝えられており、以後たび重なる埋立てによって、市街地は海へ海へと拡大されてきました。古くより、九州や関西地方との海上交易が盛んであった事から「伊予の大阪」と謳われ、西四国の交流・交易活動の拠点として発展してきました。「市の木:ミカン」「市の花:サルビア」を制定。

旧キャッチフレーズは「海の幸 山の幸 豊かな人情 住んでよかった八幡浜」

明治22年(1889)、町村制の施行により、西宇和郡八幡浜町・矢野崎村・神山村・千丈村・舌田(しただ)村・川上村・真穴(まあな)村・双岩(ふたいわ)村・日土(ひづち)村・川之石村・宮内村・喜須来(きすき)村・磯津村が発足。

1914年、川之石村が町制を施行、西宇和郡川之石町が発足。

1930年、八幡浜町と矢野崎村が合併、西宇和郡八幡浜町が発足。

1935年、西宇和郡八幡浜町、神山町、千丈村、舌田村が合併、第一次八幡浜市が発足。

1955年、八幡浜市が川上村、真穴村、双岩村、日土村を編入。

2005年 、西宇和郡保内町と合併、八幡浜市となりました。

マンホールには市章を中心に「市の木:ミカン」がデザインされています。

全体に「市の花:サルビア」がデザインされています。

昭和10年2月11日制定の市章は「「日本ヤワタハマ」の文字を丸くかたどって図案化したもので、全市一体の和と愛情、健全にして伸びゆく八幡浜市を象徴しています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月14日&2015年2月25日

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旧西宇和郡保内町(ほないちょう)は愛媛県の南予地方、佐田岬半島の付け根に位置した町です。八幡浜市、西宇和郡伊方町、喜多郡長浜町に隣接。町域の大部分は山間地と丘陵地が続き、平地は乏しく、喜木川は金山出石寺に、宮内川は銅ヶ鳴に源を発し、これら流域に平地が開けています。丘陵地の大部分はウンシュウミカン、伊予柑の果樹園として利用されています。明治期、ハゼの 交易、銅鉱山、海運などで栄え、四国で初めて宇和紡績の操業開始、宇和紡績の工場内に自家発電開始(四国で初めて電灯の火がともる)、金融機関(今日の銀行)が一番早くできるなど、文明開化期をリードしてきました。「町の木:松」「町の花:水仙」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「みかんと歴史とふれあいの町 保内」

明治22年(1889)、町村制の施行により、西宇和郡磯津村・宮内村・川之石町・喜須来村が発足。

1955年、西宇和郡磯津村、宮内村、川之石町、喜須来村が合併し、保内町が発足。

2005年 、旧八幡浜市と合併、八幡浜市保内町となりました。

マンホールには中央に「ミカン」、周囲に「町の花:水仙」がデザインされています。

町章を中心に、左に「町の木:松」、右に「町の花:水仙」がデザインされています。

昭和43年1月22日制定の町章は「保内町の頭文字「ホ」を形取り、合併した4地区ががっちり手をつなぎ、力強く発展していく様を表しています。」合併協議会資料より

撮影日:2011年6月14日


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