八幡浜市保内町には、産業遺産に関わる旧跡や、藩政時代の旧跡が幾つか残されています。最初に尋ねたのは、見事な幾何学模様の石垣に目を奪われる「旧川之石庄屋跡」。大小さまざまな青石を鋭角に巧みに組み合わせる技術は相対的に古く、現在では新造・再現は困難であるとし、2002年に国登録有形文化財の指定を受けています。
敷地の奥には文久2年(1862)に建築された土蔵と井戸が残り、同屋敷地内より移設された3mを超える青石の灯篭とともに、藩政時代に庄屋を務めた「二宮家」の歴史を今に伝えています。
赤レンガ倉庫の手前にある「美名瀬(みなせ)橋」。昭和八年(1933)の架橋当初は欄干に鉄柵があるハイカラな橋でしたが、戦時中の金属供出により現在のようなコンクリートアーチとなりました。
橋が架かる宮内川の護岸は、青石を矢羽根積にしたものですが、味気ないコンクリートの護岸と違って、見た目にも美しいものです。
美名瀬橋を渡った先に見える赤レンガの建物は「旧東洋紡績 川之石工場」。保内川之石地区で紡績業が始まったのは、明治20年代に四国で初めて設立された「宇和紡績」から。以後、経営者を変えながら操業を続け、大正3年には東洋紡績川之石工場として稼動することになりました。
当時の川之石地区に建設された東洋紡績の工場は16棟にもおよんでいました。今は原綿倉庫として利用されていた「赤レンガ倉庫」と関連施設が残るだけ。現在は製材会社の倉庫として使用されており、中には入れませんが、赤レンガ倉庫沿いの「もっきんロード」から間近に見ることができます。
続いて訪ねたのは「愛媛蚕種株式会社(旧日進館)」。明治17年(1884)、呉服商麓屋の兵頭寅一郎が日進館としてはじめ、のち愛媛蚕種株式会社となった建物です。
全面ガラス扉に覆われた木造3階建ての蚕室では、今でもお蚕さんが大切に飼育され、1週間前までの要予約で、ガイドさんの説明を聞きながら見学も出来ます。でも予定が組めない私たちには、ほぼ・・縁のない話。
事務室と玄関、蚕室のある3棟の建物は、国土の歴史的景観に寄与しているものとして1999年6月に国登録文化財に指定されています。
次に向った場所は、明治24年(1891)に開鉱された「大峰鉱山:佐島精錬所」の名残を伝える「からみ石・石垣」。
画像の黒っぽい石は、銅鉱石を精錬する過程で銅分を取り除いた後の鉱滓からできた「からみレンガ」と呼ばれるもの。川之石では精錬所の名にちなんで「佐島レンガ」と呼んでいました。
からみレンガの石垣の直ぐ近くに、洗い出し技法の外壁が目立つ「内之浦公会堂」。随所に西洋建築を意識した建物は、昭和12年(1937)に地元出身の実業家那須金市氏の寄付によって建てられました。
「公会堂」の文字の下にはアカンサスの葉をデザインした細工が施され、当時としては非常に斬新なデザインであったと思われます。2001年4月24日、「内之浦公会堂」は国登録有形文化財に指定されました。
八幡浜市保内に残された歴史的建築を訪ねる町歩き、もう少し続きます。
訪問日:2011年6月14日
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