「長野県道祖神一覧」によると旧穂高地区には双体道祖神だけで125基が掲載されています。と言う事は私たちがせっせと足を運んで画像に残せたのは四割そこそこ。う~~~ん、奥が深すぎて這い上がれないかも😓 でも欲を言えばキリが無く・・見つけられた範囲で良しとし、安曇野の双体道祖神紹介。トップは安曇野市穂高貝梅 。覆い屋の下に「握手双体道祖神」他三基
仲睦まじいお二人の姿をアップで・・男神が『津川雅彦』さんに似てると思っていると、ご亭主殿が「俳優の誰かに似ている」と言い出し、やっぱり思う事は同じみたい😄。女神も非常によく似たお顔だち、と言う事は津川さん女装バージョン?!
「天保十二丑年(1841) 貝梅中 帯代二十 五両 」の刻。 双体像の上部模様部分のみ彩色が施され、表札のように「道祖神」と 刻まれています。
覆い屋の横に「八王子大神」「秋葉神社:津島神社:〇〇碑」「馬頭観音」各一基
安曇野市穂高等々力町、丸山菓子舗横。覆い屋の下に「握手双体道祖神」二基、「庚申塔」「二十三夜塔」各一基。
左の道祖神には「下連中 寛政十戊午年(1798)三月」の刻。日差しを遮る覆い屋のせいで、表情は不鮮明。向かって左端、賽銭箱と同じ高さの小さな「握手肩抱き双体道祖神」には「〇高油屋」の刻。ちょっと小太りの男神と気の弱そうな顔立ちの女神。二人ともたっつけ袴のようなものを穿いています。
安曇野市穂高等々力町、奥まった塀の陰に「酒器:祝言双体道祖神」・「握手双体道祖神」、他一基。
「保高 井口氏 天保八年酉十二月吉日」の刻。幸せそうな男神に寄り添い小首をかしげて微笑む女神。二人の間に流れるのは、この上なく穏やかな時間。
中央、体をかがめて女神を抱き寄せる男神。「保高 近江屋」の刻。双子と言ってもおかしくない瓜二つの顔で寄り添う二人は幸せオーラ満開。
安曇野市穂高等々力町、松本信用金庫前の植え込みに「文字碑道祖神」「庚申塔」「握手肩抱き抱擁双体道祖神」「二十三夜塔」二基、他一基。
「明治十九年丙戌」の刻。熟年のカップルと言うと叱られそうですが、頬を寄せ合う姿を見ていると、高砂の二人を見ているようで何とも微笑ましく、つられて笑みがこぼれます。
穂高駅前に昭和60年(1985)建立の「握手肩抱き双体道祖神」。年若い恋人の女神の肩を優しく包み込むように抱く男神。二人の間に流れる穏やかな時間が幾久しく続きますように。
穂高駅前に「握手肩抱き双体道祖神」。女神は木目込み人形の女雛を思わせる顔立ち。男神は唐子の大人版😅。でも仲良しの雰囲気はしっかり伝わってきます。
安曇野市穂高本郷。道標の横に「握手双体道祖神」・「大黒天」各一基。
「上原中 道下中 安政五年戊午年(1858)二月吉日」の刻。石の黒ずみが悪戯をして男神は髭を蓄えているように見えます。
安曇野市穂高等々力、「握手双体道祖神」・「大黒天」・「二十三夜塔」各一基 。
上部に菊花と「仲間中 天保十己亥年(1839)正月吉日」の刻。結い上げた髪がとてもよく似合う美形カップル。この程よい距離感が好印象ですね。
台座の横にはかなりの数の「更新仏塔」や「文字碑」等が整然と並べられています。
石塔群に限った事ではありませんが、改めて見直した時・・一つ一つきちんと画像に残しておけば良かったのに惜しい事をしてしまった。そうして戻れぬ後悔にほぞを噛み、安曇野の道祖神、さらに~其の二へと続きます。
撮影日:2016年4月19日
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『道祖神(さえのかみ)=道俣神(ちまたのかみ)=岐の神』、伊邪那美命の死後の姿に恐れ、黄泉の国から逃げ帰った伊邪那岐命が禊祓をした折、脱いだ袴から生まれた。道の分岐点を守り邪霊の侵入を阻止する神。旅人の安全を守護する神。
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