車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 徳島県徳島市

2020年09月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・徳島県

徳島市(とくしまし)は四国北東部、徳島県の東部に位置する市です。小松島市、勝浦郡勝浦町、板野郡松茂町・北島町・藍住町、名西郡石井町・神山町、名東郡佐那河内村に。また紀伊水道を隔てて和歌山県和歌山市に隣接。吉野川とその支流がつくり育てた三角州に位置し、徳島県の県庁所在地及び最大の都市であり、地方の中核的都市として、産業をはじめ、政治、経済、文化等、さまざまな面において高い集積があります。歴史は古く、天正年間に蜂須賀家政が阿波に入国し、城郭を築いたのが始まりで、蜂須賀14代の治世のもと、阿波の政治・経済の中心として栄えて来ました。また、徳島を代表する「阿波踊り」は、日本三大盆踊りや四国三大祭りの代表的な存在として知られています。「市の木:ホルトノキ」「市の花:桜」を制定。

キャッチフレーズは「わくわく実感! 水都とくしま。」

明治22年(1889)、市町村制の施行により、徳島城下を中心とした名東郡徳島町他、29町8村を市域として徳島市が発足。
 名東郡加茂名(かもみょう)村・斎津村・沖洲村・八万村・加茂村・新居村・国府村・北井上村・南井上村が発足。
 名西郡入田村・上八万村。勝浦郡多家良村・勝占村、板野郡川内村・応神村が発足。

1908年、国府村が町制を施行、名東郡国府町となる。

1915年、加茂名村が町制を施行、名東郡加茂名(かもな)町となる。

1926年、徳島市が名東郡斎津村、沖洲村を編入。

1933年、加茂村が町制を施行、名東郡加茂町となる。

1937年、徳島市が名東郡加茂名町、八万村、加茂町を編入。

1951年、徳島市が勝浦郡多家良村、勝占村を編入。

1952年 - 新居村が町制を施行、名東郡新居町となる。

1955年、徳島市が名東郡新居町、名西郡入田村、上八万村、板野郡川内村を編入。

1955年、国府町、北井上村、南井上村が合併、名東郡国府町(第二次)が発足。

1966年、徳島市が板野郡応神村を編入。

1967年、徳島市が名東郡国府町を編入。

市域にはデザインマンホールはなく、市章のある規格蓋のみ。

明治42年(1909)10月29日制定の市章は「徳島藩の徽章(きしょう)であった子持筋の下に市の文字を配して円形にしたもので、本市が徳島県の中枢であることを表徴しています。」公式HPより

日本地図が描かれた 「国土地理院」「三角点」「基本」と書かれています。「国土地理院」は、国土交通省設置法及び測量法に基づいて測量行政を行う、国土交通省に置かれる特別の機関の名称です。

マンホールは少ないですが、路上絵は意外と沢山の種類が見つかりました。流石は阿波踊りで有名な徳島市、見つけた路上絵は全て阿波踊りで、大まかに「男踊り」と「女踊り」に大別されます。

「男踊り」は、半天を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣をしりからげに着て踊る浴衣踊り。所作は大きく、時には勇猛に、時には滑稽に、うちわや手ぬぐいなどを使う事もあります。 

「女踊り」は浴衣に下駄履き、網笠を深く被り、艶っぽく、上品に踊るのが良いとされます。一般的な浴衣と違い、襦袢に裾除け、手甲を付け、黒繻子の半幅帯をお太鼓に結びます。

ご当地マンホールならぬ、ご当地ポスト。こういうのって、実はとっても好き😄

市内の随所に設けられた、歩き遍路さんの為の休憩スポット。もちろん、誰でも利用できます。

撮影日:2013年3月16日


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