車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

雲州平田・木綿街道 in 島根県出雲市平田

2018年06月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

江戸後期、木綿の集散地として栄えた雲州平田(うんしゅうひらた)。東に宍道湖を擁し、東西を貫流する船川と水路に恵まれたこの地域は、古くから商家の荷を運ぶ川港の荷揚げ場として利用されてきました。「木綿街道」と呼ばれた一帯には、今も塗壁造りの建物が軒を連ね、往時の繁栄を忍ばせています。

二段になったなまこ壁や親子格子が一際目を引く「本石橋邸」。建物は延享六年(1750)頃のものと言われています。 大地主でもあった『石橋孫八』は明治5年に自宅を校舎として開校、郷土の近代化に貢献しました。数寄を凝らした建物は、今は街道歩きの拠点「出雲市立木綿街道交流館」として活用されています。

江戸末期から明治初期にかけ、良質の木綿として大阪や京都などで高く評価された「平田木綿」。 遠方との取引が行われるようになると、船川周辺は木綿の集散地として多くの船が往来しました。かって木綿問屋「岡屋」があった付近には、今も「岡屋小路」と呼ばれる路地が残っています。

ふわっと涼しい風に誘われれば、木々の緑を写し水鳥が遊ぶ川べり。かっては「平田木綿」を積んだ多くの川舟が行きかっていた川岸には、船川を行き交う舟の安全と、商いの成功を願って建立されたお社が今も大切に守られています。

まるで猫のような向拝の獅子彫刻(*^^*)

油屋小路の奥、平田舟付場にあるタブの木と榎が絡み合って連理の枝となった「緑(えにし)の木だまり」「約3百年前の江戸時代に榎は一里塚。タブは荒神信仰の木として心ある人によってこの地に縁を結んだ 宍道湖水運で栄え、街と町・人と人との縁を結んだ平田港の出船入船をこの川辺に立って寄り添いあうように見守り続けて来たのです・・以下略」現地案内より

江戸時代から約300年間、一子相伝で受け継がれてきた生姜糖の老舗「來間屋(くるまや)生姜糖本舗」。生姜は一つの種から多くの実が取れる事から「子宝に恵まれ、縁を固める」と伝えられてきました。砂糖で固めた「生姜糖」は「恋の甘方楽」の名で、縁結びの処方箋に入れて販売されます。

木綿街道のシンボル的な建物ともいえる「石橋酒造」は、酒造業の他に木綿問屋も営んでいたお店。 日本酒には目の無いご亭主殿、「世界の花」と名づけられた酒瓶を見る目が💛💛(笑)

平田船川沿いに構える京呉服の「たかはし」。「切妻塗壁造り」の建物とはちょっと違った店構え。 店先には赤い丸ポストがあり、そこだけ切り取れば幾年か前に過ごした故郷と同じ景色。

屋内には糸が掛けられた機織り機や、平田木綿で織り上げられたと思われる製品が飾られています。 見たことも無いはずの光景なのに何故か懐かしく感じるのは、綿の持つ暖かさの故かもしれません。

澄み切った不思議な音に振り返れば、軒先に吊るされた昔ガラスの瓶で作られた風鈴。ユラユラとコミカルに揺れれば、瓶独特の内に籠って澄んだ音・・そこだけ時間が立ち止まったような不思議な空間。

平田独特の建物ともいえる「黒瓦・なまこ壁・出雲格子窓」。二階建妻入り造りの連なる通り。

かって賑わいを見せた当時の面影が今も色濃く残る往来、その不思議な懐かしさに誘われて足を踏み入れれば、そこは優しさに満ちた空間。

玄関先に活けられていた一枝の綿花。白く丸いこの花がもたらした繁栄と活気は消えましたが、かってそこに確かにあった人々の営みは、今も形をかえてこの町を訪れる旅人を優しく迎えてくれます。

訪問日:2011年5月17日

 


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