「芝山仁王尊」、昨日は主だった境内の様子を紹介しましたが、今日はそれ以外のお堂などを。 駐車場から続く急な石段を上がった先に、一瞬受付かな?と見間違えた「大黒堂」があります。
願い事をする際に、「大黒様」がにっこり微笑んでくれると、願いが叶うんだそうですが、さてこのしかめっ面を笑わせるななんて、できるんでしょうか?。
「大護摩堂」は、大正13年(1924)にもと客殿として建立されたお堂。現在は護摩をたき、修法を行うための仏堂として、慈悲の観音様、力の権化の仁王様の浄火によって「行」が行われます。
石段を登りきると広い境内が見えて来ました。まずは手水舎で心身を清めます。 手水鉢に刻まれた文字は「洗應揖」。意味は「洗って応に揖(ゆう)すべし」。 「揖(ゆう)す」とは、上体をかがめて会釈をすると言った意味ですが、でも難しい言葉ですね。
手水舎のすぐ近くには、芭蕉翁の句碑 【観音の 甍みやりつ 花の雲】
そこから境内の左手を奥に進むと、小雨の中でしっとりと佇む桧皮葺の「不動堂」に至ります。 ここに祀られているのは、岐阜在住・安田家の守り本尊であった『不動明王』です。
安置に至るには、守り本尊であった『不動明王』とそれを持った人との不思議な縁がありました。公式のページに詳細に語られているので、興味ある方はそちらを一読ください。
「黒龍大王神」のお堂に祀られるのは『己巳尊(つちのとみ)』。大蛇の本地で、観音の使いとされます。 その昔、当山にかかった見世物小屋の大蛇が死んだ時、龍神様が夢枕に立たれ、「大蛇はこの地に安置せよ」とのお告げを受けた興行師が奉納。ここに奉安されたと伝えられています。
不動堂の近くにあった「名馬 吾妻之塚」碑。大正11年(1922)に下総御料牧場内に建立されたものですが、成田空港建設に伴い当寺に移されました。
享保4年(1719)建立の「芝山稲荷」は、昭和54年(1979)の本堂の曳き上げに伴い現在地に移転されました。今も多くの善男善女に大切にお守りされています。
本堂左手に併設された「芝山はにわ博物館・芝山ミューゼアム」。館内には千葉県内から出土した埴輪や、古墳時代の考古遺物が展示されているそうです。
はにわ博物館前に、万葉歌人の大家として知られる『窪田空穂(くぼたうつぼ)』自筆の歌碑。【くだら佛師 いまだ来ぬ日をあづまなる 總に住みける この埴師はよ】
「シベリア乃・・」で始まる歌碑は、裏に「平成15年歌会始の儀詠進歌 お題:町」とあります。 全文が知りたくて探しましたが、該当する年の詠進歌には見当たりませんでした。
「芝山仁王尊 観音教寺」の拝観散策、長くなるので続きは明日😊
参拝日:2014年5月19日&2019年3月11日
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