木曽八景の1つで、日本五大名峡の一つに数えられ、国の名勝にも指定された「寝覚の床(ねざめのとこ)」。
「花崗岩より成れる木曽川の峽谷にして河幅逼(せま)り、両岸殆ど垂直にして深潭(しんたん)を成し、其の区域甚だ狹小なれども標式的の花崗岩峽谷なりとする。両岸には階段ありて所々に水蝕の爲、刳(くび)られたる痕跡あり。岩石中には数多の甌穴(おうけつ)ありて釜石・獅子岩・象岩・鳥帽子岩・屏風岩等の名ある竒岩あり。 大正12年3月7日、名勝指定。」文化遺産オンラインより
現地案内には屏風岩・床岩・亀岩と、浦嶋堂の位置が表記。
一段高い岩の上に祀られる「浦嶋堂」。浦嶋って・・そう、あの浦島太郎の浦嶋。何故に海から程遠い山中で「浦嶋太郎」??、と気になって調べた所、上松町にある「臨川寺」の由来「寝覚浦嶋寺略縁起」に「浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰り、日本諸国を遍歴したのち、木曽川の風景の美しい里にたどり着いた。ここで時に釣りを楽しみ、神書に記された霊薬を作って売るなどして長年暮らしていたが、あるとき里人に竜宮の話をするうち、開けてはならない玉手箱を開けてしまった為、齢300年の老人と化し、弁財天像を残してこの地から姿を消したという。」
「浦嶋堂」は浦島太郎が弁才天像を残したといわれる場所。右手に見える比較的平たい大岩が「床岩」。左手に壁のように見える岩は「屏風岩」。
屏風岩を背景に
画像右手前にある白っぽい岩が「亀岩」・・・さすがに竜宮の亀も、ここまでついて来なかったと思うのですが😓 竜宮に仕える亀、並の亀とはひと味どころか千味くらい違うのかも。
更に『沢庵和尚』が「木曾路紀行」で言及した「浦島がつり石」なる岩があるそうで、上松の宿場を舞台とした「古浄瑠璃:浦嶋太郎」では、太郎は海から遠い木曾山中に住み、木曾川で釣り糸を垂らして暮らしていたという筋立てになっています。また浦島太郎がこの地に来た事実には懐疑的だった『貝原益軒』も、「木曾路之記」において「浦島がつりせし寝覚の床」を見聞したと記しています。
また、伝説はこうも伝えます。「竜宮城から地上へ帰った太郎は、見知った人の誰一人ない見知らぬ風景に悲しみ旅に出た。木曽川の美しい風景を見た太郎は竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱を開けてしまったところ白煙が出て見る間に白髪の翁に・・・太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であり、やっと目が覚めたかのように思われたので、この事から、この里を「寝覚め」、岩が床のようであった事から「床」と呼ぶようになった。」と・・
美しい自然の中に人は有り得ないものを見、こうであればどんなにか素晴らしいだろうと思う夢を重ねます。でもこうして人智では及びもつかない美しい景観を見てしまうと、天女も浦島太郎も・・もしかしたら夢ではなかったのかもしれないと・・・ふとそんな事を思ってしまうのです。
訪問日:2014年6月20日
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