車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 岐阜県旧下呂町(下呂市)

2020年03月15日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・岐阜県

旧益田郡下呂町(げろちょう)は岐阜県飛騨地域の南部に位置した町です。益田郡小坂町、萩原町、金山町、馬瀬村、加茂郡白川町、恵那郡加子母村に。また県を跨いで長野県 王滝村に隣接。高山藩時代は金森氏によって七代100余年にわたり、その後幕府の天領となり、明治に入ると高山県の設置、梅村騒動、築魔県への移管、岐阜県への編入とこの地域は大きく揺れ動きました。そんな中、飛騨川河畔の下呂温泉は、古より万病を癒す名場の湧き出るところとして栄えてきました。町の周囲は御嶽山系に属する1,000m級の山々に囲まれ、面積の約90%を山林が占める山村地域となっています。竹原川、門和佐川、輪川がそれぞれの地区を潤し、町の中央を貫流する飛騨川(益田川)に合流。帯雲橋から金山町に至る益田川は、奇怪怪石の連なる名勝「中山七里」として訪れる人の目を楽しませています。「町の花:ツツジ」を制定。

旧キャッチフレーズは「いいゆ いいまち 下呂のまち」

「宝亀2年(776)下呂温泉の付近には美濃国菅田駅と、飛騨国大野郡の伴有駅があった。しかし、この2つの駅間は遠い上に道も険しかったため、間に駅を新たに置くこととなり、「下留駅(しものとまりえき)」を置いた。やがて下留は時代が進むに従い「げる」と読まれるようになり、転じて現在の音「げろ」となった。」続日本紀より

明治16年(1883)、三郷村より下呂と竹原が分立、下原郷より上原と中原が分立しそれぞれ村となる。

明治22年(1889)、町村制の施行により、益田郡下呂村、竹原村、上原村、中原村、川西村が発足。川西村の一部であった三原、少ヶ野村を下呂村に編入。

1925年、下呂村が町制を施行、益田郡下呂町(初代)となる。

1955年、益田郡竹原村、上原村、中原村と合併、益田郡下呂町(2代)が発足。

2004年、益田郡小坂町、金山町、萩原町、馬瀬村と合併し下呂市となりました。

マンホールには、温泉にまつわる白鷺伝説の「白鷺」と、「いいゆ いいまち 下呂のまち」の文字がデザインされています。

竹原地区の特定環境保全マンホールには、「白草山とアマゴ」、特産の「トマト」がデザインされています。

ひとまわり小さい汚水枡の蓋には、「町の花:つつじ」がデザインされています。

下呂温泉と言えば「カエル」、その心は「ゲロゲロ~♪」・・という理由でもないでしょうが、仕切り弁や消火栓などには、可愛いカエルが一杯😊 

昭和33年3月31日制定の町章は「「下・ロ」を組み合わせて図案化したもので、二代目の町章になります。」

「下呂町」の自治体名のみが書かれた消火栓・空気弁。

「下呂温泉」とかかれた・・温泉用の量水器か何かでしょうか? 蓋を開けて確認していないので用途は今一つ不明。他にも温泉地では必ず設置されている「排泥弁・断湯弁」などがありました。

中央に「電話」とかかれたマンホールですが、会社名を示すマークの類が無いので、町の有線電話用かも。

撮影日:2012年5月16日


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