『釈迦如来・普賢・文殊・弥勒・千手観音の四菩薩』を奉安する「釈迦堂」、頂く御朱印は『釈迦如来』。
入母屋造の優雅な仏堂「釈迦堂」は、三代目旧本堂として安政5年(1858)に建立された、国指定重要文化財の建物。 大本堂の建立にあたって、昭和39年(1964)に現在の場所に移されました。 屋根正面に千鳥破風が付けられ、堂の周囲には思わず息を呑むほど緻密で素晴らしい「五百羅漢」と「二十四孝」の浮彫。
釈迦堂内の欄間彫刻は、彫工:『藤原政義』の手に寄る「桐と鳳凰」。何とも優美で美しい。 天井には雲龍と天女の絵もあったようですが、なんとなく長居出来ない雰囲気で確認できませんでした。 確認できたとしても写真はNGだったかも😅
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宮彫刻には本当に目の無い私、前回はほぼ駆け足だったため、お堂周囲の全部の写真は無理でしたが、今回はご亭主殿にもお願いして。『仏師:松本良山』が十年の歳月をかけて彫ったと言われる「五百羅漢」。実際に見れば、その迫力と緻密さと、そこからあふれ出る「気」に圧倒されます。
「五百羅漢」とは、釈迦入滅後の「経典結集(きょうてんけつじゅう)」に集まったとされる500人の聖者の総称。 そして、古来より「五百羅漢」の中には、自分が会いたいと切に願い求める人が必ず居ると言われます。
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このブログにたまたま出会って下さった貴方の会いたい人も、もしかしらおいでかもしれません。 とは言え、一枚の板に約60人強の羅漢像。こんな小さな画像では、よほど拡大しない限りその詳細は無理ですね。
「釈迦堂」の彫刻は「五百羅漢」以外に、『八代目:嶋村俊表』による「二十四孝」があります。 ここに掘られているのは右が「臥氷求魚の王祥」、字面で想像はできますが、真冬に魚を食べたいという継母の為に、自らの体温で氷を溶かして鯉を捕まえるというものですが、こんな継母を選んだ父親って・・・・😩。左が「単衣順母の閔損(びんそん)」、やはり真冬に薄物を着せる継母、今度はそれを知った父親が継母を追い出すというまともな話なのですが、それを必死で泣いて止める子供・・この話を考えた古代中国の人って😅
「郭巨(かくきょ)」は老母が息子たちの為に減食するのをみて、我が子を殺して埋めようと穴を掘った😱・・・ところ黄金が出てきた。孝心が天に届き富を得るという話。 ある日、虎に襲われた「楊香(ようこう)」父子は、父を食べずに自分だけを食べてくれと天に祈ると、何故か虎はそのまま立ち去っていった。 とまぁ、こんな感じで、儒教の考えに基づいて生まれた孝行な子供の話は、後、20話もあります。彫刻そのものは素晴らしい出来栄えなのですが、その内容に関しては「二十四孝」・・大嫌い!です😣
こちらの「力神」は大屋根の下で見つけたもので、数ある彫刻の中でもお気に入りの一枚。左腕一本で軽々と軒を支える「力神」、その顔には余裕の笑みさえ見えます。
釈迦堂正面の一対の柱には青銅が巻きつけられ、素晴らしい神獣の浮き彫りが施されています。 角柱なので四面、八体の神獣が刻まれていますが、場所的に撮影の難しいものもあり、紹介できるのはごく一部。
この唐獅子牡丹の美しいこと、流石に元本堂の建物、見事な装飾です。そしてきっと沢山の人が同じように感動して、獅子の頭を撫でていくんでしょうね。
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釈迦堂前に鎮座し、境内一帯を守護するのは、寛政10年(1798)戊午5月吉日建立の、江戸尾立の狛犬さん。
ぷっくりとした顔立ちが優しげな一対で、阿形さんは頭の上に宝珠を、吽形さんは角を持っています。 太い足を踏ん張って座る姿はいかにも堂々として、旧本堂の守護にはまさにぴったり。
成田山新勝寺~其の六に続きます
参拝日:2014年5月20日&2019年3月18日
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