車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

博物館明治村5丁目~Ⅱ~ in 愛知県犬山市

2016年08月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛知県

明治村5丁目、続いては、当時の日本橋区浜町から深川区安宅町間の隅田川に架かっていた「新大橋」の一部で「隅田川新大橋」。明治41年(1908)に起工され、同45年(1912)に開通。「明治村には、京橋浜町側に架かっていた約23mの部分が移築されています。設計監理は、まだ東京市であった頃に市の営繕(えいぜん)を担当していた技術者達によるもので『日下部辨二郎、樺島正義』らの名前が記録されています。鉄材はアメリカからカーネギー社の製品を輸入し、石材は常陸の石を使いました。」公式HPより

「端にある橋門構(きょうもんこう)には、鳥居型の主構の上に、大きな橋銘板を囲む妻飾りが載っています。竣工してからまもなく、橋を渡る市電が開通し、橋の役目はますます高まりました。大正12年(1923)の関東大震災では、他の鉄橋が落ちる中で、この新大橋だけが残り、避難の道として多数の人命を救ったといわれています。」公式HPより

かって東京駅の丸の内側広場の中央にあった「東京駅警備巡査派出所」。東京駅の駅舎の竣工に合わせ、警視庁の設計によって大正3年(1914)に竣工。

「構造は鉄筋コンクリート造で、隅切り八角形の平面、正面の半円のペディメント、欄間付きの上げ下げ窓にある純白の浅い庇、腰壁に帯状にめぐらせた白色化粧レンガなど、東京駅舎との調和がはかられていることが見てとれます。」公式HPより

巡査に捕まった被疑者を裁くのは、宮津市本町にあった「宮津裁判所法廷」。明治19年(1886)に竣工した地方裁判所の刑事法廷棟。裁判所全体は左右対称の厳格な構えのH型で、その右翼部が明治村に移築されました。

「明治初期において、上級審は洋風煉瓦造であることが多いのに対して、宮津裁判所は和洋折衷の木造建築です。瓦葺きの屋根や素地のままの外壁などには、伝統的な和風建築の様式が色濃く遺されたもの。和風の意匠をベースにしつつ、切石の基礎や法廷入口のアーチなど、随所に洋風のデザインが施されています。外観は入母屋造りの桟瓦葺きで、吹き放ちの庇が特徴的。軒下にガラス入りの高窓が開きます。外壁は、隅柱を除いた漆喰塗りで、腰部分は竪羽目の板張り。」公式HPより

裁判席から被告人を見下ろす造りの法廷内は天井を高くし、裁判官・検事・書記の席を設置する非常に高い上段と、被告人と弁護人が置かれる下段に分けられています。

裁判で有罪を申し渡された罪人が収監されるのは、江戸時代から続く監獄の形式に西洋技術をプラスした明治21年(1888)竣工の「前橋監獄雑居房」「前橋監獄は洋式の4方放射式建築で、中央に八角洋風の高塔を据えた建物でした。監房は平屋で、各舎房とも、2棟もしくは3棟が連続していたとされています。そのうちの1棟が、この雑居房です。」公式HPより

同じく罪人を収監するために明治40年(1907)に竣工した「金沢監獄中央看守所・監房」

「金沢監獄は明治5年(1872)制定の「監獄則並図式」に沿って造られた監獄。八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置でした。そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築されました。」公式HPより

「四角形の見張り櫓は、四方にガラスの建具をはめ、屋根は宝形で四辺の軒の中央を折り上げたもの。頂部の棟飾や腰壁のデザインなどに、工夫の跡が見られます。」公式HPより

「中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたものです。監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的でした。」公式HPより

広い中廊下の左右には、独居監房の重い扉が整然と並び、明治時代のリアルな囚人の暮らしを体験できます(^^;) 

囚人たちが熱心に筆を運んでいる小さなボックスは在監者(囚人)が家族などへの手紙を書く「書信室」。明治21年に竣工した東京集治監(旧小菅刑務所)内の様子を描いた絵画を基に再現されました。

「私は無実なのよ~~~!、あいつに嵌められたんだ!!出してよ~~~~っ!!」「あ~あ、又お隣の人が暴れてるわ。可哀そうに今夜も食事ぬきね。」・・・・こんな体験、したくないです(-"-)

明治村の撮影スポットとして人気のこの場所は、明治の五大監獄の一つに構えられていた「金沢監獄正門」で、明治40年(1907)の竣工。

「南北250m、東西190mを囲う長く高いレンガ塀の敷地に、唯一の出入口として設けられた正門です。西洋の城郭にも似たデザインで、赤レンガに白花崗岩の帯状装飾を入れたネオ・ルッサンス様式。アーチ型両開き鉄扉を備えた中央出入口と、楯式片開き鉄扉を付けた両脇出入口の三間構成になっています。移築されるにあたり、レンガ造から鉄筋コンクリート造に改められました。閉鎖的で威圧的な印象ながら、その造形の美しさに目を奪われます。」公式HPより

有難いことに、今もって縁のない世界を垣間見た大明治のパノラマ、まだまだ続きます(*^^*)

訪問日:2011年6月4日

 


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