車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

出雲大社(いずもおおやしろ)~其の一 in 島根県出雲市大社町  

2018年05月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・島根県

出雲市大社町杵築東に鎮座される、出雲国一宮「出雲大社(いずもおおやしろ)」。正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」と称し、縁結びの神として全国的に知られています。

御祭神は『大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)』。実に多くの御名をもたれ、『国作大己貴(くにつくりおほなむち)』『大穴牟遅神』『八千矛神』『大物主神』『杵築大神』など、他に24もの別名で称される事もあります。

古事記に【大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造って頂けるならば、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。】

日本書紀では「高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴命に、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命に祀らせよう」と述べた。」とし、また出雲国風土記:楯縫郡では「神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の宮として造れ」と述べた。」。出雲大社の社伝に「垂仁天皇の御代に第一回、斉明天皇五年(659)に第二回の造営とされる。」

大社では、約60年に一度、本殿の建て替えに際して神体が仮殿に遷御される「遷宮」があります。 最初に私たちが参拝をしたのは2011年。このとき既に「平成の大遷宮」は進行していました。

神が鎮まられる座を新しくする事で、新たな力を呼び込み、そこに座す神の御威光に力を与える。 実際の理由はどうであれ、そこには永遠の再生、永遠のご神威を祈願する想いが籠められています。

「本殿遷座祭」は二年後の五月。60年に一度の「遷宮」に立ち会える機会など、もう二度とありません。 可能であるならば・・・神のご神威がいや増す「本殿遷座祭」の時期に参拝しよう!!

私たちには珍しく長い潜伏期間を置き(笑)、二年後の五月、拝殿の前に立つ事ができました。 参拝者の姿もほとんど見えない早朝、拝殿の後方には新しく再生されたご本殿の千木が見えています。

2011年の参拝では見ることが出来なかった御本殿の姿。まさに国の宝に相応しい佇まいに思わずこみ上げるこの気持ちは・・何と表現すればよいのでしょう。玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されて座す御本殿は正しく神の住まい。御神座に向き合い参拝させて頂く幸せを噛み締めています。

見上げる先、凛として気高く美しいその姿に、身内を走る泣きたいような、身震いするような感動。ああ・・!そこにはまさしく神がおわし給うのです。

そう言えば、長い旅の途中で予期せぬ雨に祟られるというのはよくある事。なのに、出雲大社への参拝はいつも青空の下。初夏の日差しが心地よく降り注ぐ中を玉砂利を踏みしめて参拝させて頂きました。

明日から暫くは、出雲大社の境内、隅から隅まで紹介してゆきます。

参拝日:2011年5月17日&2013年5月21日&2015年4月21日

 


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