南房総市千倉町忽戸に鎮座される「荒磯魚見根(あらいそうおみね)神社」。御祭神は『天兒屋根命』
境内由緒に【白雉年間忽戸村開村以来、忽戸(古くは古津度)区民の氏神「春日さま」として崇敬厚く「天下太平」「大漁万作」の守護神とされている。且っては「春日神社」と称し「奈良:春日大社」を魚見根山に勧請して氏神としましたが、江戸時代にこの地の風土に相応しい「荒磯魚見根神社」に社名を変更されました。祭神『天児屋根命』は、日本神話の「天の岩戸」開きで大神詞を立派に奏し、『天照大神』の出現を祈り其の美辞を賞せられ、天孫降臨で祭りを執り行い勅命を授かる。中臣藤原氏は其の子孫で代々朝廷の祭祀を司ったと云う。】
御本殿は覆屋の中に鎮まって折られるようで拝見は叶いません。その横にひっそりと「石祠」が祀られています。
朱塗りの社殿前より神域を守護されるのは、弘化2年(1845)乙巳6月吉日建立の江戸流れ狛犬さん。 大きく見開いた目に朱の入った口元、肩を覆う長い鬣は緩やかにウェーブして、意外とお洒落(^^;)
思わず羨ましくなるようなふさふさの尾は、後ろで鞠のように盛り上がり、足元に流れています。
次は恒例の宮彫刻ですが、境内の入り口にあった説明には「千倉の彫工 初代後藤利兵衛橘義光の彫刻」と紹介されています。
「向背龍」とは、社殿のこの「龍」でしょうか? 確かに独特の鑿目は一風変わった趣です。
さらに、説明にあった「木鼻」とは、雨の為に閉ざされた社殿の内側に、わずかに見えたこの一対の獅子の事でしょうか?「千倉地域づくり協議会」の説明の最期に、「向拝龍 木鼻 懸魚 義光作(銘ー後藤利兵衛橘恒光)」とありました。初代:後藤利兵衛橘義光は千倉の出身だそうで、早い時期の作品かなと想像します。
それとも、向背と同じ社殿の両脇の木鼻にあった「獅子と像」を指しているのでしょうか?
最期の「懸魚」は宮彫刻大好きという理由だけで素直に良いとな思えた「老松に鷹」。 鋭い視線の向こうには、羽根を広げた小さな鳥が松の枝に遊んでおり、何とも良い構図です。
それはともかくも、「後藤義光・一門」の宮彫刻、もう少し早く知っていればと悔やまれます。 帰宅してから見つかる様々な資料や写真は、手(足)を伸ばせば届いた場所に驚くほど沢山有ったのです。
生憎の雨で決して見晴らしが良いとは言えない千倉の町並み、彼方には雨にけぶる太平洋。手前の鮮やかな紅色は河津桜・・ではなく、ここでは「頼朝桜」と呼びましょうか。雨に濡れてより鮮やかです。
参拝日:2019年3月7日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます