「香取神宮」は「鹿島神宮」と共に、古来より神宮を名乗っていた三社のうちの二社とされます。また、茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮」・神栖市の「息栖神社」と供に、東国三社の一社として知られています。
下総国の一宮で『経津主大神(ふつぬしのおおかみ)』を御祭神とする式内社。 また、関東地方を中心とした全国「香取神社」の総本社で、宮中の四方拝(しほうはい)で遥拝される一社でもあります。 四方拝とは、毎年1月1日の寅の刻(午前4時)に、天皇が清涼殿の東庭に出御し、天地四方の神祇を拝し、年災消滅、五穀豊穣を祈る宮中祭祀です。もっとも「宮中の四方拝」は、昭和天皇の御代以後途絶えたらしいと、某所より漏れ聞きましたが・・。
国登録有形文化財の拝殿には千鳥破風が設けられ、組物・蟇股には極彩色が施されています。これらの拝殿・幣殿・神饌所は、昭和の大修築による造営で、木造平屋建て、檜皮葺となっています。
【初代神武天皇18年の創建と伝える。黎明期に関しては明らかでないが、『常陸国風土記』に、すでに「香取神子之社」として分祠の記載が見え、それ以前の鎮座は確実とされる。古代においては「鹿島神宮」とともに大和朝廷による東国支配の拠点として機能したとされるため、朝廷が拠点として両社を祀ったのが創祀と見る説もあるが、これに対して、その前から原形となる祭祀が存在したとする説もある】
本殿は三間社流造、檜皮葺で、南面しており、この形式の社殿としては最大級の規模となります。 壁や柱は黒漆塗の特徴的な外観で、屋根は檜皮葺ですが、かつては柿葺であったとされます。
本殿・幣殿・拝殿が連なった権現造の社殿は、元禄13年(1700)に 五代将軍『徳川綱吉』の命により造営。「生類憐みの令」など、犬公方としての悪評高い綱吉ですが、前半においては徳を重んずる文治政治を推進した人物であったといわれています。
本殿の蟇股には極彩色の「松に孔雀」の彫刻。まさに元禄文化の華やかさを髣髴させるもの。
同じく蟇股の「鳳凰」は、まるで有名な漫画家:手塚氏が描く「火の鳥」に似ています。
丹塗りが鮮やかな祈祷殿は、旧拝殿として使われていた建物で、千葉県指定文化財。 拝殿としては比較的大規模なもので、随所に施された彫刻等に、造営時の様式が残されています。
木鼻からは極彩色の「獏」が、不敵な笑みを浮かべて参拝者を見下ろしています。
手挟(たばさみ)の彫刻は鮮やかな「牡丹」。貫の獏にしてもこの手挟にしても、いずれも名のある名工の手による物と推察。
社殿の手前に建立されているのは、昭和48年に天皇陛下・皇后陛下が御親拝された折の記念碑。
「香取神宮」の境内紹介も明日で最終回、千葉県車中泊の記事も明日で最後です。
参拝日:2014年5月18日&2019年3月15日
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