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香取神宮:東国三社~其の二 in 千葉県香取市

2019年11月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

香取神宮の紹介二日目は、奥宮から元来た道を引き返し、参道を真っ直ぐに進むと、石製の三の鳥居の前に来ます。 鳥居の向こうには朱塗りの総門も見えており、いよいよ香取神宮の境内と言う雰囲気。

鳥居の左手前にあるのは「香取神宮の神池」。と言っても特別な雰囲気は感じられません。 神宮の境内にあるから「神池」と呼ばれているんだろうな・・と、そんな感じです。

鳥居を潜ってすぐの右手には、大きな茅葺屋根が特徴の「神徳館表門(市指定文化財)」。 この門は、旧大宮司邸の表門を転用したもので、天明元年(1781)の造営と云われています。

鮮やかな朱塗りの総門は、2018年に塗り替え工事が行われたばかりで、飾り金具もピカピカ。

総門の外側に鎮座する境外社は、『大山祇命』を祀る「大山祇神社」『宇迦之御魂神』を祀る「璽神社」の二社。

総門の内側には、境内末社「諏訪神社」が鎮座されており、『建御名方命』を御祭神とします。

元禄13年(1700)に造営された丹塗りの楼門は今回で二度目ですが、何度見ても荘厳で美しい。 本殿同様、江戸幕府の造営によるもので、入母屋造銅板葺の純和様。国重要文化財の指定です。

楼門には『東郷平八郎』の筆による額が架けられ、楼門共々「香取神宮」のシンボルとなっています。

楼門前の右手は「昭和天皇御観拝記念植樹」『水戸光圀』ゆかりの「黄門桜」。 「黄門桜」は、元禄11年(1698) に『水戸光圀』が「飯高寺」を訪れたのを記念して植樹されたもので、唯一現存している一本桜だそうです。

楼門内にある随身像は随神とも表し、一般的には右側を矢大臣、左側を右大臣と呼びます。 香取神宮の矢大臣は三韓征伐の『神功皇后』に付き従った『武内宿禰』と言われています。

では右大臣はと言うと、こちらは大化の改新の中心人物として名を馳せた『藤原鎌足』。何故この二人なのか?は、公式ページにも記載が無く、嘘か誠かもあやふやな情報😅

楼門の左にある「木母杉」は、『徳川光圀』が貞享元年(1684)に参拝した時に名付けたもの。 境内に立つ多数の杉の母であろうと・・思ったとか何とか・・(ちなみに杉で無くスダジイ)。残念ながら現在は枯死しているそうです。

「木母杉」の近くに鎮座されるのは「末社:馬場殿神社」。御祭神は『建速須佐之男命』

更に「末社:市神社」には『事代主命』。市神社に合祀された「天降(あまくだし)神社」の御祭神は『伊伎志爾保(いきしにほのかみ)、鑰守(かぎもりのかみ)』

楼門の内側より神域を守護されるのは、とても姿勢の良い、木彫の神殿狛犬さん一対。 元々は習志野鉄道隊駐屯地内の神社にあったものですが、敗戦後にこの神社に移されたそうです。見るからに堅そうな木肌に刻まれた鑿(ノミ)のあとが、獅子たちを更に精悍に見せています。2014年の参拝の時も暫く目が離せなかったのですが、今回もやはり暫く見入ってしまいました。

楼門の内側、右手の「香取神宮:神饌(みけ)殿」は、神事の際に供える供物を納める処。

「神饌殿」の近くには、神宮に由来の「海上自衛隊練習艦:かとり」の碇が奉納されていました。

明日は楼門から拝殿・本殿と、境内の重要な建造物などを御朱印と共に紹介したいと思います。

参拝日:2014年5月18日&2019年3月15日


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