車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

手力雄(てじからお)神社~其の二 in 岐阜県各務原市

2016年12月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

「手力雄神社」の二の鳥居は大正時代の建立。ちなみに一の赤鳥居は万治2年(1659)の建立で、道路拡張に伴って現在地に移築されました。

二の鳥居を潜って左手に鎮座される「子護 (こまもり)薬師社」。御祭神は『大巳貴命・小彦名命・薬師大神』。御本尊は『薬師大神』の本地仏である『薬師如来』。神仏習合の名残が今も残されています。

境内途中よりお薬師様を守護されるのは、昭和9年4月建立の、浪花の強面おっちゃんタイプの狛犬さん一対。吽形さんは仔狛の頭に手を置き、阿形さんは毬を手元に置いています。

でもって、この吽形さんの足元にじゃれる子狛の顔つきが、吽形さんに負けず劣らずの強面、将来はたぶん・・有望です(^^;)

お薬師様の扉前に置かれた【重・軽・石(おもかるいし)】、持ち上げた時に感じる重さが予想よりも重いか軽いかで願いが叶うか否かを占います。お座部の色が赤と青なのは、男女別に石の重さを変えてあるとか??

参道右手に境内社二社。右に鎮座される「福徳龍神社」。御祭神は『龍神』。祠が祀られる台座はかつて境内にあった井戸枠で「貞享四年(1687)」の建立年があります。

さらに参道を進み、舞殿横の渡り廊下を潜った先に6世紀後期と推定される「横穴式石室古墳」が見えてきます。境内に数基点在していたそうですが現在は東西に2基のみが残されており、市史跡に指定されています。

何と言うか・・・ご亭主殿が一緒だから奥まで覗き込めますが、一人だと即回れ右(^^;)

御本殿裏手、左手に「秋葉神社」。火伏の神である『秋葉権現』が祀られます。

御本殿裏手、右手に「八幡神社」。石清水八幡宮より勧請した武門の神とされる『八幡神』が祀られます。

八幡社から更に進むと「稲荷神社」。伏見稲荷大社より勧請した五穀をつかさどる『御食津神』が祀られます。

ちなみに一の鳥居から境内を入るとすぐに「信長顕著碑」が・・・えッ!!えぇぇ~~??信長~~~~~ぁ!?いや、確か信長って美濃を滅ぼした武将ですよね?それが何ゆえ、しかも神社で顕著されるのか??・・・と顕著碑に目を通してみれば、「永禄10年(1567)、信長は稲葉山城攻めの戦勝祈願を行い、戦勝後は広大な社領を寄進。~中略~また、多くの宝物を寄進し、それらは今も、文化財として神社に残されている。」と言った内容の事が、信長公の肖像画つきで、びっしりと書き込まれています。

神社の御神紋が「織田木瓜」なのは、どうやら信長の崇敬を受けての事のようです。

神仏の祟りなど知った事かというイメージの信長さん、美濃攻めの為に各務原へ攻め入り、周囲の寺社を焼き払いながらやがてこの社にも迫ってきたところ・・・突然、あたり一面に霧が立ち込めたかと思うと、体の自由が利かなくなり、ついに落馬してしまいます。これを神罰と恐れた信長は、社に二度と弓を引かないことを約束し、ついでに戦勝祈願までしています(笑)そんな経緯もあって、今日では、勝運・開運の神として必勝祈願の参拝者で賑わうそうです。

社務所の前より神域を守護される小さな狛犬さん一対。素材は粘土か何かのように見えます。どなたが、どのような意図で製作されたのか分りませんが、四肢を踏ん張った姿が健気です。

手水舎

参拝日:2010年11月27日

 


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