各務原市那加手力町に鎮座される各務原市内金幣五社の一社「手力雄(てじからお)神社」。御祭神は『手力雄神(てじからおおかみ)』。相殿神八座『高御産霊神・神産霊神・美和都神・宇津井剣火御子三所神・伊波乃西神・長山神・村国神・村国真墨田神』
創建不詳「社伝に、5世紀末期ごろ中里を支配していた豪族により、山の中腹に磐座祭祀として『真幣(みてぐら)明神』を祭ったのが始まりとされる。主祭神手力雄神は、古くは佐良木郷八ヶ村の山中に祀られていたのを、後に現社地に奉還され佐良木郷の産土神として崇敬された。永禄10年(1567)織田信長が岐阜城攻略のおり当社に戦勝祈願をし、祈願成就の後、各務野原近里1300町歩を社領に付し、宝物等を寄進した。」公式HPより抜粋
檜皮引きの拝殿後方に各務原市指定重要文化財の本殿。「社記によると延宝二年(1674)の再建といわれる。屋根は前方の傾斜を後方よりも長くする一間社流造で、上面は檜の皮で葺いた檜皮葺。正面中央には軒唐破風、その上には千鳥破風が構えられている。本殿の三方にはまん板と高欄を巡らせている。」現地案内より
同じく各務原市指定重要文化財の「本殿海老虹梁巻龍二体」。案内に「向拝柱の間をつなぐ虹梁の両端が竜頭形の木鼻として立体的に強調されたものです。さらに胴体と四肢が主屋とをつなぐ海老虹梁に巻きつくように取りつけられています。」
伝説では、この龍は昼には井戸に隠れて姿を表さず、夜になると井戸から抜け出し田畑を荒らしまわっていました。龍の悪さに困った村人たちは神主と相談の上、よくよくお祓いをした後に龍の目に釘を打ちつけました。以後、田畑が荒らされる事はなくなったと云います。
そんな伝説が生まれる程の雌雄の龍ですが作者は不明。左甚五郎の作とも伝えられますが、一説に左甚五郎は飛騨の匠の総称ではないかとも言われています。出来の良い彫刻で作者不明のものには、往々にして「伝:左甚五郎作」とされ、これも同様と考えられます。
御祭神が鎮まられる御本殿を守護されるのは阿吽の龍ばかりではありません。高欄のうちより低く構えた姿勢で神域を守護される木造の神殿狛犬さん一対。
吽形は角を持ち、低く構えた姿勢のままギリギリと奥歯を噛み締め、前方を睨み据えています。
脇障子には草花の彫刻が施されていますが、これ以上は近づけない為、全体像をとらえる事はできません。
組み物の下の彫刻は、おそらく二十四孝の一つ「楊香」と思います。他にも一連の彫刻が有りましたが、まともに写せたのはこれ一枚だけ(^^;)
御本殿外より神域を守護されるのは、明治41年3月建立の狛犬さん一対。阿形さんは前歯で玉を噛み締め、吽形さんは牙をむきだし、奥歯を噛み締めています。
拝殿左手に、昭和初期に建築された「舞殿」。稚児の舞が奉納されていたそうで、今も雅楽等の奉納行事に使用されています。
舞殿の屋根より神域を守護される留め蓋瓦の獅子一対。上目遣いの表情が何とも面白可愛い阿形さん。
体の半分くらいはありそうな大きな毬を抱え込んだ吽形さん。奪われてなるものかと唇を噛み締めているのが、これまた可愛い(笑)
拝殿前左右より神域を守護されるのは。昭和9年4月建立の岡崎型狛犬さん一対。吽形は口中に玉を含む仔狛をつれ、阿形は手の下に毬を置いています。
細石「さざれ石の巌となりて 苔の生す迄」
まだまだ終わらない「手力雄神社」。明日は境内に祀られる摂社などを紹介します。
参拝日:2010年11月27日
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