能登半島有数の景勝地であり、国の名勝および天然記念物にも指定されている「曽々木海岸」。 日本海の荒波によって浸食された断崖は、人の概念では予想もつかない奇岩を生み出しています。
曽々木海岸を代表する観光スポット「窓岩」。板状の岩の真ん中、何百年にも渡って波と風の力で穿たれた穴は、まさしく岩の「窓」。伝説では『源義経』が弓で射た穴とも言われているそうですが・・・北陸路はどこまでも行っても判官びいきのようです。
2011年に建立された「能登平家の郷」のモニュメント。この地に伝わる平家伝説をいかして生まれた「平家の郷」巡りのスタート地点。
「平家にあらずんば人にあらず」・・「平家の郷」の主人公である『平時忠』は、清盛の妻『時子』の弟として清盛を補佐しつつも、実権を一手に担った参謀です。清盛亡き後、平家の実質的な指導者として権力を握り、冒頭の言葉を残したと言われています。
壇ノ浦の戦いで捕えられた『平時忠』は、三種の神器の一つ「神鏡」を守った功績により死罪を免れ、能登に配流となり、その4年後にこの地で生涯を終えました。
その後、嫡子である『平時国』は近隣の村々を統合し館を構え、今も尚その系譜は続いています。 第21代当主によって築かれた豪壮巨大な屋敷「上時国家」。
江戸後期、名工「安幸」が28年かけて完成させた、入母屋萱ぶきの巨大民家「時国家・本家」。189坪の古民家は、国指定重要文化財に指定されています。
時国家からの帰路、車中にもかかわらず、不意に目に入ってきた不気味な人影・・ 一瞬『耳なし芳一』!?と思ったものは、「平家物語」を語り広めたと云われる琵琶法師の像。 不気味なと言いながら、車から降りて確認するあたりが私らしいのですが😅 まぁでも、「赤間神社」の芳一さんみたいに怖くはありません。
曽々木海岸の句碑【 塩田に 百日 筋目 つけ通し 沢木欣一 】
塩田を詠んだ句が出て来たので、輪島市町野町の三ツ子浜海岸には、昔ながらの揚げ浜式塩田を営む「塩の駅・輪島塩」があります。
およそ五百年も前から奥能登に伝えられてきた揚げ浜式塩田。「荒塩桶(あらじおけ)」で海の潮を汲み、「引桶(しこけ)」に入れ、「打桶(おちょけ)」で塩田下地に海水を撒く。女子衆たちは「柄振(えぶり)」を使って「乾砂(かんさ)」を集めます。
集めた「乾砂」を「垂舟(たれふね)」に入れ、再び海水をかけて濃度の高い海水「鹹水(かんすい)」を溜めます。・・・一生懸命覚えてますが、もはや頭の中は専門用語が渦巻き????マークで一杯(笑)
ちなみに「打桶」は筒抜けなので、手で押さえながら海水を撒くのですが、見るとやるとでは大違い。まずもって海水を均等に撒くこと自体が至難の業。ともすれば「打桶」と一緒に我が身が塩田に投げ出されそう😅
手間も暇も充分にかけて大切に作られる輪島の塩は、まさしく絶品の美味。 輪島の塩を手にまぶし、炊き立てのご飯で作るお握り・・・日本人で良かったと心底思えます!!
訪問日:2015年5月23日
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