車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

高松(たかまつ)神社 in 静岡県御前崎市

2019年02月26日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

御前崎市門屋にある「高松緑の森公園」。その公園の隣の小高い丘の上に鎮座される「高松(たかまつ)神社」。 御祭神は『伊弉冊(いざなみ)尊 、速玉男(はやたまお)命、亊解男(ことさか)命』

参道入り口では「鈴昭和」と呼ばれる狛犬さんが、はるかな高みの神域を守護されています。

はるかな高みの言葉通り、境内まではかなり急な213段の石段を登らなければなりません。 雨上がりで滑りやすくなった石段を登るのは、足に不安を抱えた身ではかなり難儀。それでも折角ここまで来て一人で車内で待つことを思うと、亀の歩みでも行くっきゃない!!

辿り着いたと言う表現がぴったりの最上段、振り返った先には遠州灘を背景の町並みが広がります。 もっと上等のカメラなら、この遠望は本当に素晴らしいのですが・・・まぁ雰囲気だけでも(^^;)

【当、高松神社は、第四十二代文武天皇の御祈願により、大宝元年(701)九月、紀州熊野三社をこの地方に移し祭ることにした。その由来は、藤原鎌足公の孫宮子姫が、文武天皇の御后になられたが、皇子無きため、深く紀州熊野三社に御祈願をされ、その御神徳により望みがかない、皇子を御安産され、此の皇子を後の聖武天皇と申し上げる。
そして、御祈願成就の上は、急ぎ東国に三所の社を建て移し祭るべきであると言う天皇のおことばにより。公家の奥野左衛門惟吉卿を遣わし、宮地を見聞せしめられ、此の景勝の地を新宮の宮地と定め、移し祭られた社が、当高松神社である。
また、横須賀の地を本宮と定め、移し祭られた社が三熊野神社であり、那智の宮地として移し祭られた社が小笠神社である。】
境内由緒書より。

宝暦12年(1762)に建て直された、入母屋造り・平入流れ・向拝付きの拝殿。

本殿は天明4年(1784)に建て直しがされており、御前崎市の指定文化財。 間口三間、奥行き三間の総欅の入母屋造りで、千鳥破風付きに銅葺きの屋根。

本殿には、木鼻に12、蟇股に12と、多くの彫刻が見られ、それらを解説したものも展示されています。  で、どうしてもアルバムに残しておきたいと言う私の希望に、ご亭主どのとJさん、透かし塀にしがみ付く勢いで頑張ってくれました(^^;)

とはいえ、塀の外からでは見える彫刻にも限界があり、しかもピントを合わせるのにも一苦労。まずは比較的ましな「菊滋童」。周の王の待童で、菊の蕾を飲み不老不死になったと云われています。

「唐獅子牡丹」は、唐の代に伝わった架空の動物「獅子」と、富貴の花「牡丹」との組み合わせ。

「菊水」は延命長寿のめでたい柄として、家紋や織物、建築物の装飾などに多く用いられています。

どんな強風にも決して折れない竹と強い虎を組み合わせた「竹に虎」。男児向けの教訓かな? 一説には、虎よりも強い巨獣に襲われたとき、身を隠すのに最も最適な場所が、竹林だとか。

境内社は一つ屋根の祠ですが、「八幡神社・春日神社・若宮神社・津島神社・天満宮・松尾神社・丸山神社・於玖波神社・秋葉神社・金比羅宮」の神々が祀られています。

生憎と社務所はお留守で御朱印は頂けませんでしたが、参拝も無事に済ませる事ができました。
それではもと来た道を・・・・Σ( ̄□ ̄!) 大丈夫!登れたんだから降りるのだって問題ないはずです(笑)

参拝日:2016年12月14日

 


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