車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

万松山・龍潭寺(りょうたんじ) in 静岡県浜松市引佐

2021年05月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・静岡県

「井伊谷宮」に隣接した一画に門を構える臨済宗妙心寺派寺院「万松山・龍潭寺(りょうたんじ)」。遠州の古刹と称され、1300年にわたる当地の歴史と信仰を今日に伝え、「虚空蔵菩薩」を御本尊とします。

寺伝によれば「天平5年(733)、『行基』によって開かれたとされ、当初の寺号は「地蔵寺」であったが、寛治7年(1093)に『井伊共保』が葬られた際に、その法号から「自浄寺」と改められた。平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされており、元中年間(1384~1392)に、『宗良親王』がこの寺を中興したとも云う。永正4年(1507)、『井伊直平』が『黙宗瑞淵』を招いて、「龍泰寺」と寺号が改められたが、永禄3年(1560)に『井伊直盛』が葬られると、直盛の法号から「龍潭寺」と改められた。」
『井伊直興公』の寄進により延宝4年(1676)に再建された、県指定文化財の本堂。

私たちは「井伊谷宮」から「龍潭寺」に廻ったので、参拝順路が逆になってしまいました。まだ新しい仁王門は、昭和62年(1987)の建立で。両側に迫力のある仁王像が安置されています。

仁王門の内側には、木製の獅子狛犬が境内を守護していますが、金網があって画像はいま一つ。 木肌の感じからして、おそらく仁王門と同時期に作られ奉納されたものと思われます。

仁王門を潜ると、右手に、昭和46年(1971)に再建されたという「鐘楼堂」

その奥に、東門と呼ばれる「旧鐘楼堂」があり、内には「観世音菩薩立像」を安置。 井伊氏の家老を務めた『松下 清景』の養子『松下一定』の寄進によるもので、「龍潭寺」では一番古く、約400年前の建物だと言う事です。

禅寺特有の大破風が美しい庫裡は、文化12年(1815)の建立で、県指定文化財。 堂内の拝観はこちらで受付ですが、折悪しく鉢合わせした強烈に賑やかな観光客の団体に怖気づいてパス😓  言葉は仕方ないとしても、集団で我が物顔に行動する方たちは、本当に!!勘弁です。

御朱印を貰うときにチラッと見えた、国指定名勝『小堀遠州』作の庭園。とても鮮やかで綺麗だったのが印象的でしたが、あの集団と一緒に鑑賞する根性は無い・・。

「龍潭寺」境内で一番の撮影スポットといわれる、二階建て楼閣造の「開山堂」。 元禄15年(1702)、龍潭寺歴代住職のお位牌を祀る為に建立されたお堂で、県指定の文化財。 ここからでは見えませんが、塔上には井伊氏の家紋「彦根橘、彦根井筒」(井桁)が見られるそうです。

ここには井伊家歴代の墓所があり、もちろん『井伊直親』や『井伊直虎』の墓もあります。 私たちが参拝したのは、某局のドラマ放映の前年でしたが、ドラマ放映後は一気に参拝する人が増えたそうです。
正面に見る二基の墓石は、右が井伊家初代・共保。左が直虎の父・『井伊直盛』。直盛の死後井伊家の当主となった『直親』と『直虎』の墓は右手の奥に並んで建てられています。

お寺の境内らしく、参道のそこかしこで参拝者をお迎えくださる地蔵様、名も知らぬ石仏たち。

唯一、お名前が分かる「一面六臂の青面金剛(しょうめんこんごう)」

踏みしめられた邪鬼の下で、我関せずの三猿😅。

初冬の境内にはまだ色づいた木々が葉を茂らせ、穏やかに時を刻んでいます。

参拝日:2016年12月17日


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