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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

葦守(あしもり)八幡宮~其の二 in 岡山県岡山市北区

2021年08月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

二日目の「葦守八幡宮」紹介は、南参道一の鳥居から。鳥居の向こうには〆柱が建立されておりここから比較的緩やかな石段の参道が続きます。

ひなびた風情を思わせる南参道からの眺め。先に登った参道と比べると随分と緩やかな石段です。

石段参道途中に建つ随神門、どうやらこちらには随身さんはおいでにならないようですね。神門の奥には先ほどの拝殿が見えています。

 随身門から少し上の小高くなった一画、竹で組まれた囲いの中に一頭の獅子が奉納されています。近くに案内等も無いため詳細は不明ですが・・「ライオン=獅子」の奉納は他の神社でもたまに見かけます。

改めて境内に戻って来ました。こうして見るとかなり広い境内だと言う事が良く分かります。

これは本殿の近くに奉納されていたギリシャ神殿に見るような形状の水盤なのですが・・なぜかお寺によく見る「亀趺」の上に乗せられています。

お寺といえば、この境内には「鐘楼」もあるのです。案内に詳細は有りませんが、もしかしたらこの神社にも神宮寺があったのかもしれません。

神橋の架かる先に鎮座されるのは「境内社:弁才天」。他にも何社かお社があったのですが、画像に残したのはこの一社だけ。

コースの都合上、参拝と町歩きを終えた後に立ち寄らせていただいた南参道前の両部鳥居。「葦守八幡神社の鳥居は安芸の宮島の大鳥居と同様に、明神鳥居の柱の基部に稚児柱を伴う、 両部鳥居であり、石鳥居のこの形式のものはめずらしい。花崗岩製で、高さ4.3m、柱の真々間3.4mを計り、柱が太く低目ぎみに見える時代的特徴を 示している。向かって右側の柱の内側に「康安元年十月二日願主神主賀陽重人(中央)、大工沙弥妙阿(右) 祝主僧頼澄(左)」の刻銘があり、1361年(南北朝時代)の造立と判明している。大工の「妙阿」はこの鳥居より十五年前に建立された鼓神社宝塔(国指定重文・上高田所在) の石大工と同人物であり注目される。 この鳥居は、在銘の石鳥居としては、最古の部類にはいり、この時代のほぼ完全な姿を伝える全国的にも貴重なものである。」現地案内板より

この重要文化財の左手に「足守一里塚遺跡」の碑があります。山陽道から外れた場所に一里塚が存在した事が気になって調べてみましたが、詳細は不明でした。ただこの道が伯耆国の「大山詣」の為の「大山道」の枝道であったらしい事。であれば一里塚の存在も頷ける気がします。

鳥居から少し入った先の傍らに建立されていた「岡山懸指定史跡 葉田葦守宮跡」碑。この「葉田葦守宮」というのが現在の葦守八幡宮の事なのか、それとも単純に、応神天皇が、兄媛(えひめ)と、その兄・御友別命に饗応を受けたとされる宮の址を指すのか・・古い碑に刻まれた文字は興味深い謎を提示してくれます。

南参道近くにあった「吉備史跡岡山懸立 自然公園 葦森八幡宮」の碑。HPで見た限りでは特に足守地区に触れた部分はありませんでした。

参拝日:2010年3月3日

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葦守(あしもり)八幡宮~其の一 in 岡山県岡山市北区

2021年08月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山市北区下足守に鎮座される「葦守(あしもり)八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・玉依媛命・兄姫命・御友別(みともわけ)命』。
領内総鎮守として古くから信仰を集め、応神天皇行幸の旧跡としても知られています。

由緒「当宮は世にいう葉田葦守宮で応神天皇行幸の旧跡である。葉田葦守は応神天皇の皇妃吉備兄媛の郷里であり、応神天皇の22年9月この地に御臨幸になった。応神天皇はこの行幸において、兄媛命の兄御友別命及びその子、兄弟のもてなしを受けたことを大変喜ばれ、吉備の地を分国し、長子の稲速分(下道臣の祖)に川嶋県、次子仲彦(上道、香屋臣の祖)に上道県、末子弟彦(三野臣の祖)に三野県、兄の浦凝別(苑臣の祖)に苑県、弟の鴨別(笠臣の祖)に波区芸県を与えられた。天皇崩御の後、御友別命の子中津彦命(仲彦)は、天皇の仁徳を追慕し、天皇の神霊をその行宮跡に斎き祀り、葉田葦守宮と称したのが現葦守八幡宮である。」岡山神社庁HPより

駐車スペースの都合上、西参道からの参拝とした私たち。鳥居の前より神域を守護されるのは、これ以上長く伸ばせないほど伸ばした顎の毛が特徴的な狛犬さん一対。顔立ちの割りに可愛らしさがにじんでいます。

鳥居の先はかなり急な石段参道・・・それでもとにかくここを上らなければ境内にはたどり着けません。

石段参道の中間あたりで出迎えてくれる随身門、ここでひとまず息を整えます。

随身門の内より神域を守護されるのは、狩衣の色目も美しい左大臣・矢大臣。後世に手が入れられたのでしょうか? 太い格子の向こうに見えるお顔はとても表情豊か。

三月の空を背景にすっきりと建つ唐破風屋根の拝殿。注連縄はまだかすかに稲藁の香りを残していて、何もかもが清々しい雰囲気。

拝殿額の下、蟇股に施された彫刻は「怒涛の中を飛翔する龍」。飛び散る波の飛沫さえ感じられそうな力強さに思わず圧倒されます。

木鼻の獅子はかなりご機嫌な顔で、一生懸命見上げる参拝者に愛想を振りまいてくれます。

下から見上げる象は、機嫌がいいのか悪いのか?この位置からでは判然としません。

素晴らしい彫刻が施された拝殿左右より神域を守護されるのは、天明6年(1786)建立の狛犬さん一対。特に私一押しの吽形さんは、その端正な顔立ちから狛犬界の貴公子と呼ばれています😊

拝殿の横に設けられているのは廻廊でしょうか?後方には明治3年(1870)に再建された本殿が見えています。本殿には『木瀬浄阿彌』作の円鏡が御神体として祀られているとか。円鏡は、慶長12年(1607)に『豊臣秀頼』が寄進したものと言われています。

本殿扉の上部、貫に施された彫刻は・・・・下は逆巻く波と右に伊勢海老。上は獅子の跳ねる姿が見えますが、その周囲にあるのは老松でしょうか?。素晴らしい彫刻ですが、写し手の腕の悪さは棚に置き、詳しい説明が無い為はっきりした事はわかりません。

境内にある神楽殿は絵馬殿も兼ねているらしく、天井近くの柱には沢山の絵馬が奉納されています。

「神功皇后の前で、生まれたばかりの応神天皇を抱き上げる武内宿禰」。明治時代の奉納とは思えないほど鮮やかな色使いに、思わず奉納年を再確認。

平安時代末期の嘉応元年(1169)に描かれたものを写したという「足守庄絵図」。実物は京都市の神護寺にあり、重要文化財に指定されているそうです。

摂社や南参道など、まだまだ興味深いものがありますが長くなりそうなので、この続きは「葦守八幡宮~其の二」で。

参拝日:2010年3月3日

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最上稲荷山妙教寺~其の四 in 岡山県岡山市北区

2021年08月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

昨日に引き続いての末社紹介、驚く事ではないのですが、これから紹介する末社は全て国登録有形文化財の建造物になります。

本殿の後方に位置する「荒熊(あらくま)天王社」。千鳥破風付入母屋造檜皮葺で、正面に軒唐破風付一間向拝を設け、勝運必勝・武道向上のご威徳があります。

鳥居の内、拝殿の下より神域を守護されるのは備前神狐の一対。流石に備前焼の陶工が生み出した神狐様。独特の風貌に心惹かれます。

更に玉垣の内より神域を守護される神狐さん一対。お顔が黒いのは、社殿前に置かれた線香台から流れる煙で長い間いぶされた所為なのです。

本殿の西北に南面して建つ「朝日天王社」。眼病平癒のご威徳があります。

明治42年(1990)の建造で千鳥破風付入母屋造檜皮葺、正面に軒唐破風付一間向拝を設けています。

社殿の左右より神域を守護されるのは備前焼神狐さん一対。さらに社殿の真下で神域を守護されるのは神殿狛犬を思わせる獅子一対。

香炉台の左右には、可愛いという表現がぴったりきそうな狛犬さん一対。阿形さんの手の下には昔何かがあったのでしょうか?

本殿東北に建つ「日車(ひぐるま)天王社」。学業成就のご遺徳が有ります。

明治40年(1908)の建造で、千鳥破風付入母屋造檜皮葺、正面に軒唐破風付一間向拝を設け、龍の丸彫や唐獅子の脇障子など、豊かな彫物装飾をもちます。

社殿下より神域を守護されるのは、青備前と呼ばれる非常に珍しい神狐さん一対。一見何でもないように見えますが、実はとても貴重で高価なお狐様なのです。

一体だけになってしまった神狐さんですが、赤いべべがとても可愛らしく見えてしまうのは何故でしょう?

本殿東側末社群の中央に建つ「三光(さんこう)天王社」。乳病平癒のご威徳が有ります。

昭和2年の建造で千鳥破風付入母屋造檜皮葺、正面に軒唐破風付一間向拝を設け、水引虹梁や繋虹梁を龍彫刻とする他、中備や方立、脇障子、腰板など華やかな彫物装飾で充たされています。

社殿の下より神域を守護されるのは備前焼き神狐さん一対。何ともひょうきんに見えてしまう表情は、焼き物が生み出す所以かも知れません。

ひょうきんな表情の備前焼き神狐さんだけでは心許なかったのでしょうか?まるで外堀を守るように生真面目な面立ちの神狐さんが付き添っています。

夜守天王社の北に位置する「妙正(よしまさ)天王社 」。僧侶守護のご威徳が有ります。大正6年(1917)の建造で一間社流造檜皮葺、正側面に擬宝珠高欄付切目縁をまわし、正面に浜床と浜縁を付けるのみで、装飾的要素を抑えた社殿となっています。

その浜縁のうちより控えめに社殿を守護されるのは、備前焼神狐さん一対。長く尖った鼻筋や、ピンと立った耳などは俊敏な狼かイヌを連想させます。

岡山県周辺域においては「最上稲荷」は、「伏見稲荷大社」・「豊川稲荷」と並ぶ日本三大稲荷の一つとしていますが、「豊川稲荷」では「伏見稲荷大社」と佐賀県の「祐徳稲荷」とし、「祐徳稲荷」では「伏見稲荷大社」と「最上稲荷」としています。ちなみに「伏見稲荷大社」では、「三大稲荷は地域により異なる」として、三大稲荷の三社を限定することはしていません。・・・う~~~んやっぱり本家の余裕でしょうか😄

ちなみにこの最上稲荷、岡山県内では最も多くの人が初詣に訪れると言われています(二番目は由加山)

最後は参道途中に建立されていた「亀趺(きふ)」。食いしばった口から漏れるのは・・・・「お・・重い・・・」

(※)「亀趺」とは台石の一種で、石碑を載せる台石を大亀の形にしたものの事を言います。

参拝日:2010年3月3日&2015年4月25日

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最上稲荷山妙教寺~其の三 in 岡山県岡山市北区

2021年08月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

昨日に引き続いての最上稲荷、今日は七十七末社とそれぞれを守護される神獣さんたちの紹介です。まずは境内の左手、石段の横には最上尊が降臨された霊地とされる「八畳岩」への矢印看板。最上稲荷奥之院入口の鳥居には「荒瀧大権現」の鳥居額があり、鳥居の後には「是より奥之院まで12丁」と刻まれた道標。これでいくと龍王山の山頂に位置する奥の院までの山道は、約1,300M・・・いや・・絶対に無理です!

石段参道の両脇より霊域を守護されるのは、まるでロボットを思わせる風情の神狐さん一対。全部がこうだと味気ないかもしれませんが😆、初見と言うことで。

石段参道の途中、鳥居の前より霊域を守護されるのは全体的に丸みをおびた神狐さん一対。体はふっくらですが、顔つきはかなり険しいです。

石段の左手にはお宝塔が疲れた足を後押しするかのように並び、右手には「御瀧流泉寺参道」と刻まれた道標。

次々と現れる朱の鳥居、いくつものお宝塔、小さな社、石灯篭・・・そうしてそれらの立ち並ぶ一帯を守護される何体もの神獣たち。

更に石段をあがると「宝城天王・葛城天王・五平大明神・白玉明神」の扁額が架かる朱の鳥居。

真っ直ぐに四肢を踏ん張る姿の狛犬さんは、あまり見かけないタイプですが、中々にユニークでいらっしゃいます。

石段のもう少し先に仲良く並んでいた神狐さん、この独特のお姿は何と表現したら良いのでしょう?悩ましいところ😅

さて、これ以上参道を進んでしまうと、下で待つ私にはもう姿を追う事ができません。頑張ってくれたご亭主殿、そろそろ下界へ降りて来て下さいな。

境内に並ぶ七十七末社には、最上様にお仕えしながら衆生救済の手助けをする神様が祀られています。主の鳥居が鮮やかな「縁の末社」には、「縁引(えんびき)天王」「離別(りべつ)天王」が祀られており、両参りをする事で、新たな良縁を結べるとしています。

「荒瀧大権現」石段の右隣に鎮座される「日吉大明神」。「日吉山王権現」の御分霊が祀られているものと思われます

神域を守護されるのは、日吉の神使いではなくて神狐様。もしかしたら別バージョンの日吉様なのかも・・・

「神馬庫」は細かい金網が張り巡らされており、画像では外観しか分かりません。ここでも神狐さんがしっかりと守護を担っておられます。

登録有形文化財の「大乗(おおのり)天王社」。船舶守護のご威徳があるとされています。一間社流造檜皮葺の社殿は大正6年(1917)の建築。

登録有形文化財の「羽弥御崎(はやみさき)天王社」、商業繁栄のご威徳があるとされています。一間社千鳥破風付入母屋造檜皮葺に、軒唐破風付一間向拝を設けた社殿は大正10年(1921)の建築。

登録有形文化財の「信受・照(のぶ・あき)両天王社」、夫婦円満のご威徳があるとされています。千鳥破風付入母屋造檜皮葺の社殿は昭和6年(1921)の建築。

この辺りからご社名が判らなくなって来ました😓 何しろ膨大な数。きっと公式HPを見れば判るに違いないと思っていたのが甘かった・・・。こういうのは手間でも社殿額なり説明なりを残しておくべきですね。

七十七末社・・もちろん一度では無理かもと思っていましたが、やっぱり無理でした😅 この続きは明日の「最上稲荷山妙教寺~Ⅳ~」で。

参拝日:2010年3月3日&2015年4月25日

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最上稲荷山妙教寺~其の二 in 岡山県岡山市北区

2021年08月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

最上稲荷公式HPに「文化財ゾーン」として紹介される旧本殿・七十七末社・・・御本殿での参拝をすませ御朱印を頂いたら、早速そちらに向かう事に。

「お宝塔」とも呼ばれる「題目石」と、稲荷の赤い幟の間に続く坂道の参道。足に自信の無い人にはちょっと辛いコースですが、大丈夫!きっと神狐さんが後押ししてくれます。

坂道も終盤、左手には山の上へと続く石段があり、入り口近くには「本瀧」の社号額がかかる朱の鳥居が建立されています。7月の夏期大祭では、八大龍王の宝珠を乗せた神輿が滝にうたれるとか。この石段の上にその滝があるのでしょうか。

朱の鳥居前左右より神域を守護されるのは兎耳の神狐さんとシャープな線が特徴の神狐さんがそれぞれ一対。何故か赤い前垂れが掛けられていたのは宝珠を咥えた一体だけ(^^;)

「最上位経王大菩薩」と刻まれた板碑を守護されるのは、長い長い年月をここで過されてきた宝珠を手にする神狐さん。そうしてすでに四肢を失いかけた神狐さんの一対です。

桧皮葺の屋根に真っ赤な幟が一際鮮やかな旧本殿。古来より、赤は火の色とされ、魔除けの力があると信じられてきました。稲荷の狐に宝珠を持つものが多いのは、宝珠そのものが、火の赤を象徴しているからかもしれません

公式HPでは一括りに旧本殿(霊応殿)とされていますが、こうして見ると、正面に拝殿があり最奥が本殿でそれを繋ぐ建物は幣殿でしょうか。桧皮葺の屋根が龍王山の緑に映えて非常に美しく、まさに静かに鎮座されています。

「旧本殿は寛保元年(1741)に再建された建物で、新本殿建立の際に曳家工法で当地に移されました。当山最古の木造建築物であり、最奥の建物が2004年に岡山市重要文化財に、その他の建物は2009年に登録有形文化財に指定されています。」公式HP境内マップより

開放的な旧拝殿より改めてのお参り。「抱き稲に焔(ほむら)宝珠」の神紋がくっきりと美しい御神灯、ゆらりと香る線香の煙・・神仏が一体となった不思議な感覚にしばし身を任せて、願うのは愛する人たちの健康長寿。

お参りが終わったら改めてこの美しい社殿を堪能させていただきます。それにしても何と見事な社殿彫刻・・・・貫の獅子も獏も今にも声を上げそうなほどに生きいきと彫り込まれています

幣殿には「最上位」と記された拝殿額。その下には三頭の「麒麟」が見返り、追いかけ、駆け抜けていく様が微妙な鑿使いで再現されており、それはもう言葉では表現できない素晴らしさ。

じっと見上げているとフッと目が合う瞬間があり、それが何とも言えない心地よさと共に、何かを語りかけてくるような錯覚を感じさせてくれるのです。

鳳凰と焔宝珠に抱かれるように存在感を示す「大瓶束(たいへいづか)」。隅々にまで細かい彫刻が施されており、それもまた充分に目を楽しませてくれます。

常緑の松の枝に羽を休めるのは鴛鴦・・これを蟇股彫刻と一括りにしてよいものなのか・・寺社建築の彫刻を見るのが大好きな私には、どれもこれも溜息の出るものばかり。でもここに紹介したのはほんの一部、興味ある方は是非一度参拝されて、実物をご覧になってください。

旧本殿・高覧の左右より神域を守護されるのは、阿吽共に非常に穏やかな面差しの備前宮獅子さん一対。吽形さんの流れるような鬣がとても素敵です。

そういえば、坂道を登る途中だったか、登り切った所でだったか・・左手に屋根の付いた廻廊のようなものが見えていました。あれは一体何だったのか・・気になりつつその正体は不明のまま。

明日の「最上稲荷山妙教寺~其の三」では、旧本殿を取り囲むように鎮座される七十七末社と、その神域を守護される神獣さんたちを紹介します。

参拝日:2010年3月3日&2015年4月25日

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最上稲荷山妙教寺~其の一 in 岡山県岡山市北区

2021年08月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

「妙法(みょうほう)」とは、仏教において深遠微妙なる法、教え、特に「法華経」を指す。  特定の宗派を持たない私には、経典の教えは正直なところ・・よくわかりません。

岡山市北区にある日蓮宗寺院「最上稲荷山妙教寺」。所在地が岡山市の高松地区であることから「高松稲荷」とも称されます。 そして何故か、高松地区というと真っ先に思い出すのが「高松稲荷」と「備中高松城の水攻め」😣

わき道に逸れかけましたが、本尊は『久遠実成本師釈迦牟尼仏』、祈祷本尊は『最上位経王大菩薩(稲荷大明神)』。脇神として『八大龍王尊』『三面大黒尊天』が共に本殿に祀られており最上三神』と呼ばれています。

「天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。 以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。」公式HPより

『最上位経王大菩薩』は、右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をされ、稲荷神の本地とされる『荼枳尼天』と同じ像容を備えています。

昭和47年に建立された大鳥居は、高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。ここから最上稲荷までは2700m。

参道入り口の二の鳥居を潜るといよいよ最上稲荷の参道口。境内でもある広場は私設の駐車場が幾つも設けられており、ここから徒歩で参拝。

アーケード参道の中は門前町が形成されており、その左右には隙間なく土産屋が軒を連ね、呼び込みの掛け声が参拝者の足を止めさせます。

門前町の参道を抜けると中興350年記念事業として昭和33年(1958)に再建された仁王門が出迎えてくれます。インドの殿堂様式で建造された石造りの仁王門は珍しく、2009年に登録有形文化財に指定されました。

参道側の仁王門内には阿吽の「金色仁王尊像」が、境内側には白狐像がそれぞれに神域を守護されています。

石段参道を登りきった先に、開山千二百年記念事業として昭和54年に完成した「霊光殿」が見えてきました。

石段参道の上、両脇より仏域を守護されるのは、文政12年(1829)11月建立の出雲構えの狛犬さん一対。吽形さんの傍らには楽しそうに参拝者を見る子狛の姿も有ります。

岡山県内で唯一、明治初年の廃仏毀釈の被害を逃れた所といわれ、日蓮宗系「神仏習合」の祭祀形態を今も残す「最上稲荷」。本殿と呼ばれる建物の前には、長さ約 12m、総重量1.5tの大注連縄がかけられています。

更に本殿の向かって右手には、御神紋「抱き稲に焔(ほむら)宝珠」の腹掛けをつけた神馬が一頭。

本殿からさほど遠く無い位置には「旧本殿跡霊地」と刻まれた石坐が安置。旧本殿はここからあの坂道を上って・・その様子を想像するだけで、ため息に似た吐息がこぼれる・・罰当たり😅。

本殿から旧本殿へむかう途中に建つ、木造・入母屋造本瓦葺の鐘楼。亀甲基壇の上に設置された鐘楼の・・屋根の飾瓦が、とても魅力的なのです。

鬼の下から顔を突出しているのは龍かな?鼻先にあるのは、もう散ってしまった梅?それとも何か美味しい実のなる木??

参道に面した屋根の上では、さして変わった事も無い毎日にすっかり慣れてしまった風の、鬼と龍。はてさて、どっちが良かったんでしょう😊

公式HPでは文化財ゾーンとして紹介されている旧本殿は明日の「最上稲荷山妙教寺~其の二」で。

参拝日:2010年3月3日&2015年4月25日

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『大吉備津彦命』と『桃太郎』

2021年08月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山と言えば桃太郎。岡山県警のキャラを始めとして、それはもうどんなにささやかな場所にも、お土産に看板、標識からちょっとした広告の挿絵にだって出没します。昔話をあまり知らない人でも「鬼が島に鬼退治に行った桃太郎さん」を知らない人は少ないと思います。では桃太郎さんにモデルはいたのでしょうか?

実は「吉備津神社」の奥深くに鎮座される『大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)』こそが、昔語りの主人公『桃太郎』なのです。吉備の国に伝わる温羅伝説、桃太郎の鬼退治はこの伝説を元にして作られたと言います。

崇神天皇のころ、吉備の国に百済の王子と名乗る容貌魁偉の「温羅(うら)」という者が来襲します。温羅は「吉備冠者(きびのかじゃ)」と名乗り、新山の鬼ノ城を拠点として一帯を支配し暴虐の限りを尽くしました。困り果てた吉備の人々は都へ出向いて、その窮状を訴えます。

訴えを受けた王権は、「温羅」を退治する為に討伐軍を送りますが歯が立たず、 最後の切り札として「比古伊佐勢理比古命(ひこいさせりひこのみこと)」を派遣しました。

しかし命の射た矢は温羅の投げる岩とぶつかり、ことごとく落ちてしまいます。次に命は二本の矢を同時に射ち、一つの矢が温羅の左目を射抜きました。その時流れ出た血が新山から足守川に流れたので、川は赤く染まり血吸川と呼ばれるようになりました。

温羅は雉に化けて逃げたので、命は鷹に化けて追いかけ、次に温羅は鯉に化けて逃げます。命は鵜に変身してついに温羅を捕えました。温羅は降参し「吉備冠者」の名を五十狭芹彦命に献上。これにより五十狭芹彦命は吉備津彦命と呼ばれるようになりました。

口承文学としての「桃太郎」の発祥は室町時代末期から江戸時代初期頃とされ、以後、江戸時代の草双紙や黄表紙版の『桃太郎』『桃太郎昔話』などの出版により広まりました。最古の文献としては元禄以前の『桃太郎話』、元禄頃の『桃太郎昔語り』などが現存していたといいます。

桃から生まれた「桃太郎」。おばあさんが作ってくれたキビ団子はまるで魔法の食べ物。サルもキジもイヌもすっかりキビ団子の虜になり、桃太郎と共に鬼退治に行く事になりました。

備前一宮の吉備津彦神社の駐車場から、はるか遠くに見える「鬼が島」を望む桃太郎一行。お猿さんが気の毒なくらい痩せているのがとっても気になります😲 この像は旧有漢町在住のセメント像作家『中山森造氏』の作品です。

備後一宮の境内の一画から、はるか彼方に見える鬼が島を望む桃太郎さん一行。すっかり体力を回復したお猿さん、これなら充分に戦力になりそうですね。

吉備津神社縁起物によると、吉備津彦命は「犬飼健命(いぬかいたけるのみこと)」、猿飼部の「楽々森彦命(ささもりひこのみこと)」、鳥飼部の「留玉臣命(とめたまおみのみこと)」という三人の家来と共に、鬼ノ城に住む「鬼」である温羅を倒したとされています。

吉備の国に伝わる鬼退治の伝説の足跡は、桃太朗さんと共にそこかしこに見る事が出来ます。古来より言い伝えられてきたもの、新たに観光の拠点として作られたもの、形は様々ですが、それらを訪ねて吉備路を歩くというのも、また面白いテーマかもしれません😄

後記:戦いに敗れた権力者が、勝者に自らの名を差し出す話は、「日本武尊」が九州を支配していた「熊襲建(くまそたける)」を成敗した際にも登場します。敗者となった「熊襲建」から名前を差し出された「小碓命(おぐなのみこと)」は、以後「日本武尊命(やまとたけるのみこと)」と名乗る事となります。名を差し出す=絶対的な降伏を意味するのかもしれません。

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首部(こうべ)白山神社 in 岡山県岡山市北区

2021年08月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山市北区首部(こうべ)に鎮座される「首部(こうべ)白山神社」。御祭神は『伊邪那美命・ 菊理姫命』

御由緒「平安時代初期、仁和年中(885~889)に、石川県の白山比咩神社  から、当地の北にある坊主山の頂上に「白山権現」として勧請したのを創始とします。その後、現在地に遷座され、明治二年に「白山神社」に改称。   崇神天皇の御代に、四道将軍として五十狭斧彦命(後に吉備津彦命)が、備中岩屋に住む鬼とされる温羅(吉備の冠者)を退治し、その首を「首村」に晒したが、怪異により首は吉備津神社の下の地中深くに移した。~後略」境内案内より

何があったのかは不明ですが、随身門はブルーシートですっぽりと覆われており、随身様の様子を窺うことは出来ません。

これはシートの隙間からチラッと見えた天井部分ですが、ぶら下がっているのは「酒林(さかばやし)」と呼ばれる杉玉のようです。何故ここに杉玉が在るのか? もしかして境内のどこかに「酒の神様」が祀られていたのか?すべては謎。

随身門前より神域を守護されるのは明治39年10月、日露戦役を記念して建立された構え方狛犬さん一対。台座から滑り落ちそうな前足と、丈夫そうな歯並びが印象的。

随身門の東側に注連縄で囲われた一画があり、その中央には高く土が盛り上げられています。傍らには「末社:米神」の社名が見えますが、実はこれが温羅の首塚だというのです。

伝承によると吉備津彦命によって討ち取られた温羅の首は、串に刺して晒された後ここに埋められたと云います。その時々の権力者によって悪にも善にもなる敗者。温羅の側に立てば、彼はその地を治める偉大な統治者であったかもしれません。近隣には妄想全開で、恨みを膨らませ優位に立とうとする民族もいるようですが、こうして「米神様」として大切に祀られている姿を見ると、日本人で良かったとしみじみ思うのです。

参拝日:2011年8月16日

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鯉喰(こいくい)神社 in 岡山県倉敷市矢部  

2021年08月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

倉敷市矢部に鎮座される「鯉喰(こいくい)神社」。御祭神は『夜目山主(やめやまのぬし)命・夜目麻呂(やめまろ)命』『狭田安是彦・千田宇根彦』が配祀されます。

「吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した。社殿は元禄14年(1701)4月、天保13年3月に造営し現在に至った。大正6年4月、庄村矢部字向山村社楯築神社を合祀した。大正6年10月4日神饌幣帛供進神社に指定された。」岡山神社庁HPより

一の鳥居前、左右より神域を守護されるのは、明治34年9月吉祥日建立の備前宮獅子一対。妙に達観したようなお顔立ちが印象的です。

「楯築墳墓(たてつきふんぼ)」と呼ばれる弥生古墳の頂上に鎮座される神域、決して広いとはいえない境内ですが、塵一つなく、社殿近くには高く積まれた石垣の上に石灯籠が奉納され、地元の方々の崇敬が伝わって来ます。

社殿近くより神域を守護されるのは、玉を抱え込むように手を置き其処に顔を乗せる明治8年4月建立の狛犬さん一対。色々と玉抱きの狛犬さんを見てきましたが、こんな風に体全体を預けるタイプは非常に珍しく思います。残念ながら吽形さんのお顔は剥落が酷く、その表情は窺い知れません。

木の色からまだ新しい築と思える神門から、廻廊のように屋根が続き、真っ直ぐに拝殿・本殿へと至ります。

その神門内より神域を守護されるのは、長い長い時を過されてきたと思われる随身様。すっかりと俗世の色を落とされた風情ですが、僅かに残る袴の藍が鮮やか。

本殿後方には「地神」と刻まれた文字碑があり、〆縄で守られた石碑が建立され、後方には二つの境内社が鎮座されます。

拝殿の屋根、たっぷりの水の中で楽しげに泳ぐ鯉の姿があります。この後に「鵜」がいればまさに伝承の情景なのですが・・流石にそれは無いですね😅。

境内の一角には鐘楼が有り、きちんと釣鐘も残されています。また入り口近くの石燈籠には「三社宮」と刻まれています。ですがそれらに関しての説明は何も無く、気になったままで終わりました。

鯉喰神社の御神体は「包丁と俎板」とも云われているそうです。地元では、温羅を捕えた後に『夜目山主命』が鯉を料理して命をもてなしたという伝承もあるとか。血に染まったというその川を鯉に化けて逃げる「温羅」、追うのは「鵜」に姿を変えた「吉備津彦命」・・・はるかな昔、遠い古代のお話です。

境内を出ると、吉備津・川辺・金毘羅への古い道標が目に止まりました。その昔のこの辺りは、一宮への参拝客や、金毘羅詣での人々で賑わっていたのでしょう。

参拝日:2011年8月16日

吉備津彦命と温羅のその後的な由緒を持つ神社。市を跨いで紹介しました。

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吉備津神社~其の二 in 広島県福山市新市町

2021年08月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・広島県

吉備津神社の大鳥居は、慶安元年(1648)造営の明神鳥居。額には「吉備津一宮」と記されており、福山市指定文化財に指定されています。

本殿前の二対の狛犬さんは~其の一で既に紹介しましたが、本殿前左右に建てられている「六角燈籠」も福山市指定文化財に指定されています。左右それぞれに三基ある中の一番内に建立されているもので、水野勝成が本殿再興を記念して設置したものです。

本殿唐破風の上で巨体をくねらせる龍。寺社彫刻の龍と言えばもうテッパンものと言っても過言で無いのですが、それにしてもこの龍の躍動感は、見上げるものを圧倒させます。

開放的な拝殿は絵馬殿も兼ねている様で、内部には鏝絵の龍をはじめ、素晴らしい絵馬が奉納されています。この絵馬は「吉備津彦命と温羅」の戦いの場面でしょうか?

画像が鮮明で無いので申し訳ないのですが、こちらには十二支それぞれが精緻な鑿使いで彫刻されています。

数多くの摂末社を擁する吉備津神社、生憎と時間的な制約もあり、参拝できたのはごく数社に留まりました。こちらは菅原道真公をご祭神とする「境内社:吉備津天満宮」

本殿前のイチョウの下に鎮座される「末社:公孫樹乳房神」。御祭神は『乳房神』

子授かり・安産・子育ての御神徳があり、絵馬には本殿と桃から生まれた桃太郎が描かれています。

こちらは御神木の銀杏の巨樹。樹高20m、幹周6.1mで、広島県下第7位の大きさと言われています。また画像には残し損ねましたが拝殿そばにある「梛(なぎ)」の木も県下最大だそうです。

同じく社殿の画像が皆無と言う「櫻山神社」。 祭神は『櫻山茲俊命ほか23柱』。その神域を守護されるのは尾道型玉抱き狛犬さん一対。

鳥居を出て県道を越えた先に広がる御池 。水面に影を落とす石造り神橋の美しさにしばし見惚れて。

撮影日:2015年4月29日

明日からは再び岡山県に戻って、神社仏閣・マンホールその他諸々を訪ねます。

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