キセキ
ヒトにはきっと、それぞれに
持って生まれた役割がある
全ては結果論だと
否定されるかも知れないけれど
生まれる”奇蹟”と同じように
巡り合う”希有”があり
繋がる”天啓”があり
生きる”必然”がある
その”希少”のinochiを生き乍ら
ヒトそれぞれ
その役目を熟してゆくのだ
勿論、結末には
質や量の大小があり、優劣もあり
平凡と非凡の差異はあっても
各各の夫夫の全てのliveは
奇蹟から始まるキセキの経緯なのだ
切りが
太陽に向いて咲く、向日性の花でありたい
否、待てよ
それだと日焼けして黒ずんだり
紫外線に侵されて
皮膚ガンになる恐れもある
やっぱり、日陰で存在を主張する
背日性がいいのかな~
けれど、そうしたら
暗がりを見る人にしか気づかれないぞ
う~ん
完璧な立ち位置を得るのは難しい
中庸や、中道が
それで、受ける
右に左に突出しない
無難が一番重宝される
確かに面白みは少ないけれど
短い命の期間を
それなりに過ごすには
その方法がbestだろうか・・
でも、なあ~
折角の奇蹟の生命だから
もっと派手に、もっと優雅に、もっと豊かに
もっと煌びやかに、もっと楽天に、もっと・・etc
切りがない
゙寒露゙ーー冷たい露が着く時節と、今日の暦の説明を受けました。貴兄のフォトの水玉が寒露に見えてきました🎵これも小生にとって、小っちゃなキセキ❗
「無を紡いで
僕は突然 機織りの息子のように 無を紡ぎ始める
時間や空間や沈黙やを抜け出し 僕はひたすら 無から有のitoで 一つの形を紡ぎだすのだ
それが何で何時か誰かの僅かな温もりになるのかどうか 何の確約もないけれど
それが僕の イノチの営みの一つで 已むに已まれぬ拍動なのは 間違いのないこと
無から有を紡ぎだすこの衝動が 僕のイノチを動かしてゆく間は 僕は天命のように ペンを握り、ペンを走らす!(詩17)」
「人間が物質であるところの食物で生命を保ってゐる限りは、生命は物質の化学的作用だと云ふ暗示観念を間断なく受けつつあるのである。だから彼はその観念の作用で結局は死の現象をあらはすのである。人間が食物で養はれる必要がなくなったとき彼は生命が物質の化学的作用でないことを断然知る。彼はその心の自覚の結果として不死をあらはすのである。この例を吾等は仙人に見る。(智慧の言葉)」
今日は10時開始みたいです
大谷は一番DHで
何とかよい報告ができるように
何時も通りの、平常心で
頑張ってもらいたいですね