今日は何パン?

~手づくりパンと音楽とお花あれこれ~

さぁ

2012-06-27 19:07:40 | 家族

昨日、後期高齢者保険・介護保険・年金の手続きをし、

今日は水道・ガス・電気の名義変更をすませました。

これでだいたい終わったねー、と午後は3人で温泉へ。

半年ぶりの あかすりでリフレッシュしてきました。

いよいよ明日から仕事だー

体がついていくかなー

  

仕事と病院の往復、後半は病院と実家の往復。

仕事もお稽古もたくさんお休みし、だんだんその生活が普通になってきて、

なんかそれらは もうどうでもいい事のように思える時もありました。

覚悟しといた方がいいと言われて28日

会わせたい人には会わせといてと言われて15日

夜も付き添い始めて6日

先生の予想をも超える粘りに、最後6日間は、

ここまでやったのに 絶対一人で逝かせない、誰かがついてる時に・・・

と意地になってました。

緊張し続けられるギリギリだったと思います。

だから3人とも今は 思い出して涙する ということはありませんね。

やれるだけの事はやったし、後悔ないし、(父が)やっと楽になって良かったねー って感じ。

妹は燃え尽き症候群のよう。でも明日から勉強すると言ってます。

父のために仕事を辞めた妹の失業保険が今月で終わりで、それもすごい運命だねぇと母と話してます。

母は来週からプールに復帰です。

  

私は仕事の次、何から始めようかなぁ

コメント (2)

研修医

2012-06-27 12:13:41 | 家族

父の最期は痰との戦いでした。

でも気道の奥の方の痰は吸入しても取りきれなくて

体位を変えたり、背中をたたいたり 胸をさすり上げたり

でも それももう本人にとってはしんどいだけ、となって

息苦しさを緩和するために とうとうモルヒネを使うことになりました。

そしてだんだんといろんな数値が下がっていた21日の夜。

看護師が持って来たステロイドの点滴を妹が「もう・・・」と断りました。

その看護師さんは「そうですね」と言ってくれたんですが、

その後すぐに 夜勤の研修医が現れ、

「主治医の許可なしに薬を減らすことはできない。この薬は治療の一環で、症状の緩和に必要だ」

というようなことを言うのです。

モルヒネのおかげで、何の苦痛もなく眠っているのにです。

もう 家族3人徹夜の覚悟の時にです。

私が「何の症状の緩和ですか?」 すると言葉に詰まる研修医

妹が「先生にも立場があるでしょうから、いいですよ。点滴してください」 と言うと

ますます言葉のない研修医

「まあ、家族がどうしてもということなら、無理にはしません」と出ていきました。

そして1時間もたたないうちに、脈が0となりました。

妹と2人で 「えーーー、もしかして最後あの研修医」 とユウウツに。

はい、やっぱりあの研修医でした。後ろに指導医らしき人がついて来ましたけど。

でも、死亡診断書は彼のサインです。なんだかなー

ま、その後 お休みだった主治医が駆けつけて見送ってくれて、

彼のサインの後に自分のサインもしてくれて 気が済みました。  

   

あの夜の空気読めなかった経験が、今後の彼のためになってくれればいいんですけどね。

コメント

メモリアルホール

2012-06-27 11:10:03 | 家族

父の葬儀は 実家近くのメモリアルホールで行いました。

母が 長男の嫁の見栄を張って、とっても贅沢な家族葬でした。

葬儀の部屋は20人ほどしか入れないんだけど、その隣に10人座れる大きなダイニングルーム。

来ていただいた方には、お菓子やパン、ソフトドリンクが食べ放題 飲み放題です。

その奥に2部屋のゲストルーム。お風呂2か所にトイレ3か所。8人泊まれます。

まるでリゾートホテルのような広さ&デザインで、

泊まらない親戚も 一通り探検していました。

 

何より驚いたのが「御会葬御礼」

父の趣味や最近の様子や思い出。

そんなことをアンケートのような用紙に書き込んで行くと、こんなのが出来上がって来ました。

 

「家族を何より大切にしてくれた夫へ 共に過ごした歳月に感謝を込めて・・・」

昭和6年1月5日 淡路島に生をうけた夫

私と縁を結んでから今日に至るまで 家庭を堅く守り しっかりと支えてくれました

今 私たちが在るのも ひとえに夫のおかげです

ともに歩んだ52年間 時にはケンカもしたけれど その度ごとに お互いの絆が深まったように感じます

ありし日々を振り返ると 懐かしさや愛おしさ 感謝の気持ちが わき起こります

とても家族想いで 自分の親 姉弟のことも たえず気にかけておりました

みんなで集まって 食卓を囲んだ家族の誕生日

体調のよい時に一緒に行った温泉旅行

もう あの笑顔を見ることは叶いません・・・

幾重にも浮かぶかけがえのない思い出が そっと胸をあたためてくれるようです

 

平成24年6月21日 夫 ○○○は81年の生涯を閉じました

定年後は 様々な趣味を楽しんでおりました

ゲートボールに家庭菜園 パズル

見事な野菜を作り 農協から賞をいただいた時は とても嬉しそうでした

「○○○さん お疲れ様でした  七年間もの闘病生活 よくがんばりましたね

 これからはゆっくりとお休みください  今まで本当にありがとう」

 

生前多くのご厚情を賜りました皆様へ 深く感謝を申し上げます

今後とも今までと変わりなきご厚誼を賜りますよう よろしくお願い申し上げます

本日のご会葬 誠にありがとうございました

略儀ながら書状にてお礼申し上げます

 

決まった文例にはめ込むだけなんでしょうが

従姉妹たちに受けましたねー

コメント