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卒業おめでとう

2004-03-12 21:15:00 | 徒然なるままに
3月12日(金)

今日は昨日と打って変わって雨まじりの寒い一日だった。
でも、今日の息子達の卒業式は心温まる、感動的な卒業式だった。
何とか熱も下がり、咳き込みも軽くなった息子を、朝の7:00に同級生が迎えに来てくれた。
2人は、答辞を読む担当と、ピアノ伴奏担当だ。
このところ、放課後も遅くまで練習をし、今朝も、3年生が登校する1時間半前に登校して練習をしようというのだ。
この2人は5年生からの付き合いで、中1のときは一緒にイギリスにホームステイをし、ソーランを踊り、合唱コンクールでは指揮者とピアノ伴奏者であり、同じサッカー部員だった。
息子の2度の家出の時には、2度もお世話になった。
高校は分かれてしまったが、最後の一緒の大仕事。
本番は、本当に立派にそれぞれの役割を果たしてくれた。

卒業式は二部構成になっていた。
一部は、卒業証書授与や挨拶・祝辞など。
二部は、在校生による卒業を祝う会で、在校生・卒業生による答辞・送辞と合唱曲で進行していった。
卒業生はステージに全員並び、一部の卒業式の時に卒業生が座っていた席に保護者が座った。
対面式で、卒業生達が先生方や保護者、在校生達に向かって歌う歌は、どの曲も気持ちがこもっている『本気の歌』だった。
刻一刻近づいてくる中学生活最後の瞬間まで、3年間の思いやメッセージを歌に託して一生懸命歌う姿は、本当に感動的だった。
1年生のときからいろんなことがあった学年だった。
正直、こんな穏やかな気持ちでこの卒業の日を迎えることなんか不可能かもしれない、と思った時もあった。
この1年の彼らの努力もさることながら、先生方、PTAも一丸となって取り組んできた成果が実っての今日の晴れの日と思う。
PTA会長が、挨拶の終わりに涙声で
「思い出をたくさんありがとう」
と言った時には、在校生からもしゃくりあげる声が聞こえた。

実際、1年生の娘は、不登校で、特別3年生の先輩達にお世話になったわけでも共通の思い出があるわけでもないけど、涙がこぼれて仕方がなかったと言っていた。
3年生が泣きながら一生懸命歌う姿に感動して、練習の時にはあまり声が出ていなかった在校生達もそれに答えるように一生懸命歌っていたと言う。

2年後、娘も、こんな感動的な卒業式を迎えられることを願ってやまない。

お世話になった先生方に挨拶をし、保護者の方達と別れを惜しんだ後、いつも自治会館で集まっていた「母ネット」のメンバーでお別れ会をした。
きっかけは、入学後間もなく暴力事件で1年生の男子が被害に合い、息子達が
「親も先生も警察も何もしてくれないなら、俺達で敵を討つ、俺達が守る」
と息巻いていたのを、
「地域の子どもは地域が守る」と立ち上がった母たちで学区を越えて作ったネットワークだった。

メンバーのほとんどが第一子の母たち。みんな初めての中学生活思春期・反抗期に戸惑い、不安を感じていたので、このネットワークの情報や悩み相談や問題のディスカッションは、本当に心の拠り所だった。みんなで励まし合ってこの難しい年頃の子育てを乗り切ってきた。
子どもたちも、そういう母たちの取り組みをうるさがらず、むしろ応援してくれていたように思う。自分の親のいうことは聞かなくても、ネットのお母さんたちとは良く話したり、素直に注意を受けていたと思う。

このメンバーも、ほとんどが別々の高校に進むのだが、ぜひ、高校進学後も、このネットワークは続けていこうと言うことで話がまとまった。お互いにそれぞれの高校の情報交換をしたり、高校生をもつ親の悩みを打ち明けあう場としてもぜひ残したい。
兄弟に在校生がいる親からは、弟・妹の学年で、こんなネットワークを持つことはちょっと難しいので、その後の中学の様子について相談にのってもらうためにも、こういう場は必要だと言う話も出た。

「育児は育自」それを実感し合える、貴重な仲間達だ。

子ども達はそれぞれのクラスでのお別れ会を開いた。

私は息子に、3年間、言い続けてきたことがある。
「中学時代の同級生は、その後の人生においてとても大事な存在になる。
故郷の幼なじみを大切にするんだよ。
いつか、同級会を開く時、同級会に出られないとか出たくなくなるような嫌な思い出や仲間はずれだけは作るな。」

果たして彼がその意味をどれだけ理解してくれていたかは分からないが、3年間、友達には恵まれた中学生活だった。
この友だちの輪が、それぞれの道に進んでも変わらず続き、更に大きくなっていくことを願う。

卒業おめでとう。
そして、たくさんの思い出と、出会いをどうもありがとう。